聖日礼拝メモ 8月23日

聖書 マタイの福音書5章13−16節

 今朝の聖書の箇所も、有名なみ言葉の箇所です。この箇所は、クリスチャンがこの世にあってどういう意味を持つかを語っています。

 まず、地の塩について見ていきましょう。塩は、二つの働きがあります。防腐的働きと味付けの働きです。

 冷蔵庫がまだなかった時代、物を腐らせないために塩が用いられました。塩サバやたくあんを思い浮かべてください。野菜なども塩漬けにします。最近は、血圧に良くないということで減塩の商品が出回っています。冷蔵庫が活躍しています。

 塩のもう一つの働きは、味付けです。ヨブ記には、こういう言葉があります。「味のない物は塩なしに食べられるだろうか。卵の白身に味があるだろうか。私の喉はそれを受け付けない」(ヨブ記6:6-7)。少しの塩が味を引き立てることは、料理をする人にとってはあたりまえのことです。

 イエス様は、「あなたがたは地の塩です」と言われました。ここには、地の塩になりなさいという意味はありません。あなたがたクリスチャンは地の塩なのです、という語りかけです。

 地とは、地球のことで、そこに住む人間のことです。つまり、地の塩とは、世の中にいるクリスチャンのことです。そして、この世の中で暮らすクリスチャンは、世の人々に影響を与えているのです。それが、防腐剤的な働きと味付け的働きです。

 防腐剤的働きをするということは、世の中は悪い方へ流れて行く性質があることを示しています。これは、神を離れて生きているからです。そういう世の中に真実なクリスチャンが生活することで、悪い方に流れることに歯止めがかかるのです。クリスチャンが救われて、すぐに天に引き上げられると、このような働きをする人がいなくなります。神様は、クリスチャンをこの世に置いて、罪の抑止力にしているのです。

 また、クリスチャンがこの世に生きていることで、人生に味付ける働きがあります。もしクリスチャンがいないと、人々は自分勝手に生き、人生の目的のない不安定なものとなってしまいます。主イエスの愛と真実に信頼して生きることで、人々の心に良い方向づけを与えることができるのです。

 このような働きをする私たちですが、注意しなければならないこともあります。それは、過激にならないことです。「本当の甘みを生かすには、やはり少量の塩が必要だと言います。しかし、塩からいと人が思う程に塩味がきいたら、何もかもぶちこわしです。塩が塩本来の働きをするには、自己主張をしてはいけないのです。」

 イエス様の言葉には、塩気が失われることが言われています。死海は塩分が濃いために、人間も浮いてしまうそうです。その死海の水から取った塩は、不純物が多くてあまり塩味がないそうです。それで、捨てられるのです。信仰の純粋さが大切です。そうでないと、役に立たず、捨てられてしまう危険があります。

 さて、イエス様の言われる「世の光」についても、考えてみましょう。この言葉から、イエス様は世の中は暗いと思っていたことがわかります。テレビやインターネットを見ると、いろいろなニュースが飛び交っています。最近は特殊な詐欺が多発しています。人間は暗いものに向く傾向があります。ですから、イエス様はクリスチャンが世の光として生きることを願っています。クリスチャンが主イエスの御心を追い求め、謙虚に信仰の生活をすることで、光となるのです。ですから、主イエスから目を離してはならないのです。私たちは、ただ主の恵みによって生かされているのです。自分を愛するように隣人を愛して生きることが、御心です。それも主と力を合わせてできることです。

 イエス様がご自分のことを「世の光」とおっしゃったことがあります(ヨハネ8:12)。ですから、私たちは、イエス様の光に照らされて、世の光になるのです。私たちのうちには光源はないのです。その意味でも、イエス様から目を離してはいけないのです。

 最後に、塩気について、言葉使いに気をつけましょう。パウロの言葉に、「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩気のきいたものであるようにしなさい」とあります(コロサイ4:6)。ここの、塩気については、さまざまな翻訳を見ると、わかってきます。こういう注釈をする人があります。「私たちの話すことばも、無味乾燥なものにならないように、適度に味つけされ、聞く者に退屈感や重苦しさを与えないようなものでなければならない」と。

 「親切で、塩気のきいたもの」を別の訳で見てみましょう。「知恵と良識を用いて」、「快い、人の気を引く」、「良識に富み、善意にあふれる」、「魅力的で、興味深い」などとあります。最後に「趣味の良いもので、面白味のないものでないように」という注もありました。言葉使いに、心を用い、塩味をつけたものでありますように。

カテゴリー: マタイの福音書