聖日礼拝メモ 6月28日

聖書 マタイの福音書5章1−12節

 先日お話ししたように、イエス様が山に登って、「腰を下ろし」たことは、当時の先生と呼ばれる人たちの教えの姿を表しています。今は、立って教えることが多いのですが、当時は座って教えるのが普通でした。また、「口を開き」とあるのは、話すのに口を開いたということではなく、これから大切のことを伝えることを示す表現でした。その意味で、この山上の説教は噛み締めて読んでいきたいものです。

 この最初の箇所には、八つの幸いが記されています。これらは、主の弟子たちがみな経験する恵みを表しています。一つだけしか経験がないというクリスチャンはいないのです。その意味で読んでいかなければ、正しい読み方ではなくなります。

 さて、3節です。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」今朝は、この聖句を見ていきましょう。

 この聖句は、貧しさを美徳としているのではありません。ですから、貧しくなることを奨励したり、そのために修行したりすることは、この聖句が示していることと違います。

 イエス様は「心の貧しい人」と言っています。それは、満たされていない心で、卑屈になっている人のことではありません。また、謙遜ぶることでもありません。人にどんな印象を与えるかに、気が取られることでもありません。個性や自分を埋没することでもありません。未熟な自分を誇らしげに言い表すことでもありません。

 心の貧しさは、物質的なことではなく、霊的なことです。貧しいという言葉の原語は、「プトーコス」というギリシア語です。辞書には、「乞食同然」の貧しさを表すとあります。「霊で自分の貧困を意識する人」、「自らの霊性で、自分が神の前には無一物、乞食同然であることを知る人」などと解説されています。

 新約聖書を見ると、いろいろな例が挙げられます。シモンがイエス様に舟を貸して、説教後に魚の漁をしたときには、大漁だったために言った言葉があります。「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから」と(ルカ5:8)。自分の無知と無力を思い知ったシモンの告白です。また、パウロは、コリント伝道の時のことを思い出して、「あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました」と言っています(Ⅰコリント2:3)。豪胆なイメージのパウロですが、なんと柔らかい心を持っていたことでしょうか。これが心の貧しい人なのです。イエス様ご自身、次のように言っています。「わたしは自分からは何も行うことができません。ただ聞いたとおりにさばきます」と(ヨハネ5:30)。イエス様がいかに父なる神様により頼んでいたかを示すお言葉です。

 ルカの福音書4章には、イエス様がナザレの会堂で語られた言葉が残されています。そこには、イザヤ書61章1節、2節が引用されています。その中に「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた」とあり、それを受けて、イエス様は「今日、この聖書のことばが実現しました」と言われました。ここで言われている「貧しい人」とは、イザヤ書の中では「心の傷ついた者」のことです。また、イザヤ書57章15節には、「わたしは高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人と共に住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである」とあります。イエス様が「心の貧しい人」と言われたとき、イザヤが言った心の砕かれた人、へりくだった人のことなのです。

 心の貧しい人たちの幸いの理由として、イエス様は「天の御国はその人たちのものだからです」と説明しています。天の御国とは、地上の国々とは違います。天の御国とは、神の国のことで、神の統治と支配を意味する言葉です。ですから、天の御国をいただくとは、神の御支配、イエス様の御支配を心にいただく状態です。神の支配は全世界に及んでいます。また、キリストの支配は、クリスチャンの心に及んでいます。コロサイ人への手紙には、こう記されています。「御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子の御支配の中に移してくださいました」(1:13)。なんと幸いなことでしょうか。さらに、御国はイエス様の再臨の時に完成します。クリスチャンがどんなに恵みに満たされているか、驚くばかりです。

 心の貧しい人には、二面があります。一面は、自分を捨てる心です。自分の性格、知性、家柄、才能、財産、教育などに気を使うことから心を離すことです。パウロは自分の育ちや熱心について語った後で、イエス様に会ってから、それらを損と思うと、語っています(ピリピ3:3−8)。ただただイエス様に頼る以外にないパウロは、昔自慢していたものが無価値になったことを告白しているのです。

 心の貧しい人の持つもう一面は、信仰の創始者であり完成者であるイエス様から目を離さないことです。イエス様を仰ぎ、その御心を求め、従い、イエス様の恵みとあわれみに信頼して生きることです。このように生きることができる人は何と恵まれていることでしょうか。幸いなことです。感謝しましょう。

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