聖日礼拝メモ 6月7日

聖書 マタイの福音書4章12−17節

 今朝は、三つのポイントでお話しします。

一、バプテスマのヨハネが捕えられたこと。

 ヨルダン川でバプテスマを受けるためにやって来る人々に囲まれていたバプテスマのヨハネが、ヘロデに捕えられてしまいました。詳しいことは、14章に書かれています。

 簡単に申し上げますと、「領主ヘロデ」と言われる人は、ヘロデ大王の息子の一人です。彼が兄弟ピリポの妻ヘロディアを自分のものにしたことを、ヨハネが律法に適っていないと責めたのです。そのために囚われの身となってしまったのです。その結果、ヨルダン川のほとりで始まったリバイバルが頓挫してしまったのです。

 イエス様は、先駆者ヨハネが捕えられて、伝道ができなくなったことを知って、自分がいよいよ立たなければならないと思ったのです。正義が曲げられて、またもや罪がこの世を支配していることを知って、イエス様は自分の使命を確信して立ち上がったのです。

 イエス様の戦いはヘロデに対する戦いではなく、罪――神への叛逆を止めるための戦いです。それは十字架への道です。

 ヨハネが捕えられたことが、イエス様が宣教を開始する一つのきっかけになったのです。私たちの人生でも、何かがきっかけとなって、神様のみこころを果たそうと人生の転機を迎えることがあるでしょう。エノクが子の誕生を契機に、神様とともに歩むことを始めたことを思い起こします(創世記5:21−22)。

二、イエス様がガリラヤのカペナウムに移動したこと。

 次は、イエス様がナザレからカペナウムに居を移したことです。この二つの地名は旧約聖書にはない地名です。イエス様は伝道拠点として、ナザレではなく、カペナウムを選ばれたのです。

 そして、そのことは、旧約聖書のイザヤ書にある言葉が成就することになります。そのことにどんな意味があるのでしょうか。

 マタイが引用した箇所を見ると、その直前に、こうあります。「苦しみのあったところに、闇がなくなる」と。つまり、この「ゼブルンの地とナフタリの地」は蔑まれる前に、アッシリアの猛攻撃にあって、大変な苦しみを経験した土地なのです。人々は殺され、生きている者は外国に連れて行かれ、さらに外国人が連れて来られて、ユダヤ人が混血してゆくと言う土地でした。そのために「異邦人のガリラヤ」と呼ばれ、ナタナエルも「(ガリラヤの)ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったのです(ヨハネ1:46)。

 しかし、救い主の現れによって、「闇がなくなる」という朗報が伝えられていたのです。それが、イザヤ書9章6節にある「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる救い主の出現です。イエス様は、まさにその救い主なのです。イザヤが預言した「大いなる光」です。希望の象徴です。神様は、蔑まれてきた人々に希望を与え、救いをもたらすのです。その預言が実現するのです。そのために、イエス様は、カペナウムに移り住んで、宣教を開始したのです。

三、イエス様の宣教の開始について

 イエス様の伝道の一歩は、カペナウムで始まったのでした。そのメッセージは、「悔い改めなさい。天の御国は近づいた」というものでした。これは、ヨハネが伝えたものと同じです。ヨハネは、これから来る救い主に備えての説教でしたが、イエス様の言葉には、現実性がありました。天の御国は、「建設」するのでなく、「近づく」のです。つまり、人格的なことなのです。言い換えれば、天の御国が近づくとは、みこころを成し遂げるために御子イエス様がやって来たことになります。そして、みこころのために、十字架が必要であることを知っておられるイエス様が、天の御国が近づいたと宣言されたのです。イエス様を心にお迎えする人は、この天の御国を経験し、味わい、地上の人生が終わると、天の御国に引き上げられるのです。ハレルヤ。

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