聖日礼拝メモ 4月12日
聖書 ミカ書6章1−8節
ミカ書といえば、救い主の誕生地の預言が有名な書です。今朝は、その後の、6章を開きます。ここに書かれていることは、いろいろな題が付けられています。民と神との論争、主の告発と神の求め、いかに生き続けるか、などです。それぞれに前後との関係でつけられた題だと思います。
それでは、初めから見て行きましょう。
1節.神の訴えを聞くように、山々や丘を招いています。人間に訴えるよりも確かな証人となるからでしょう。神ご自身がイスラエル人に対して心が燃えていたのでしょうか。この訴えはしっかり届けなければならないと、思っていたのでしょう。
2節.神の訴えを聞いて、ミカが同調して訴えます。「山々よ、聞け。主の訴えを。」と。
3節から5節は、神の訴えのことばです。この言葉の背後には、人々がいけにえを捧げるのが煩わしいと思っていたことがあるようです。つまり、信仰生活に飽きてきたということでしょう。
それに対して、神様は4節、5節で、訴えます。救いのわざをしてきた事実を。
「わたしはあなたをエジプトの地から上らせ、奴隷の家からあなたを贖い出し、あなたの前にモーセと、アロンと、ミリアムを送った。」あの出エジプトの出来事に、人々の心を向けます。奇跡的な脱出であった、あの出来事です。葦の海を二つに分けて、乾いた地を渡らせた出来事です。
さらに、荒野の旅の中から、バラクとバラムの企てに目を向けさせます。バラクは呪いを希望しましたが、神様はバラムに呪わせませんでした。かえって、祝福を与えたのでした。いかに、神様が旅を守ってくださったかを思い起こさせるのでした。
次は、ヨルダン川の奇跡です。岸いっぱいに流れるヨルダン川を堰き止めて、人々を渡らせ、カナンの地に入らせてくださった出来事です。シティムはヨルダン川の東に、ギルガルは西にあるのです。
これらのことを思い起こさせて、神様はご自身が正しいことをして来たことを訴えています。イスラエルの人々が今あるのは、この神様の救いがあるからなのです。それを忘れて、「煩わしい」と騒ぐ人たちに、神様は困惑しているのです。
6節、7節では、人々の心の声を表しています。そこでは、いけにえのことが普通のものから、とんでもないもの(胎の実)へと変化しています。これは、いけにえで神を買収しようという魂胆が隠されています。人間は、すでに神の救いが用意されているのですから、それを受けるべきですが、自分が主人になりたがるのです。そして、神様をさえ自分の意のままにしたいのです。この傲慢な人間の罪は、ここで「背き」と言われています。神様の言葉に背いたのは、アダムとエバでした。
この二人は、人類の祖です。つまり人類の代表です。彼らの行いが子孫に及ぼす影響は計り知れないものがあるのです。そして、エデンの園には、たくさんの美味しい木の実がありました。「善悪の知識の木」を食べなくても、十分に満足な生活ができたのです。それなのに、サタンに惑わされて、食べてしまったのです。つまり、背いたのです。これは、自分からしてしまったことです。誘われても断るべきだったのですが、誘惑に負けました。その誘惑は、サタンの偽りの言葉でした。神様の言葉でなく、サタンの言葉を真実としてしまったのです。み言葉に背くことが罪です。そして、聖書には、神様の招きの言葉がいくつもあります。それを信じて、従うとき、救いが与えられるのです。大切なのは、自発的に信じることです。
このような人間に、あわれみを示して語ったのが、8節です。
「主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」
この中には、周りの人間に対する言葉と、神様に関する言葉があります。
人間に関するものは、公正、誠実です。公正な行い、誠実な心、これが神様の願う人間関係です。
神様に関しては、「ヘリくだって、あなたの神とともに歩むこと」です。へりくだるとは、イエス様の態度です。天のみ位から降りてこられ、人間となり、十字架の死にまで従われたイエス様の態度です。それを心にして、へりくだることです。
神様とともに歩むことが求められています。神とともに歩んだ人には、エノクやノアがいます。その他、アブラハムをはじめ、たくさんの人が神とともに歩みました。
アモス書には、「約束をしていないのに、二人の者が一緒に歩くだろうか」とあります(3:3)。神様は、御子を遣わして救いに必要なことを用意してくださいました。十字架と復活です。そして、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と約束しておられます(使徒16:31)。神様の方から、御手を差し出しておられるのです。私たちは答えなければ、救われません。信仰とは、この御手にすがることです。
そして、神様とともに歩むことは、交わり、話し合いを続けることです。それがなければ、ともに歩むことになりません。お祈り、そして聖書からの語りかけ、その交わりが、私たちのいのちとなるのです。み言葉の約束をとらえて、信頼し、愛をもって生きて行きましょう。