聖日礼拝メモ 3月8日
聖書 エペソ人への手紙5章1−20節
先日の祈り会で、「主を喜び、楽しむ」ことを考えました。主のくださる恵みを感謝するだけでなく、主ご自身を喜び、楽しむことが大事であることを再認識しました。主との生きた交わりの中で生活しながら、主ご自身を喜び楽しむことが深められていくのです。
それとは反対に、主ご自身が喜ばれることは、どんなことか、考えてみましょう。聖書は、エペソ人への手紙の5章を読んでいただきました。
1節には、神様に愛されていることから、愛のうちを生きることが勧められています。ここで言う愛とは、世の中で考えられている愛ではなく、キリストが十字架で死なれたことに示された神の愛のことです。
パウロは、このことから聖い生活を送るように勧めます、それが3節から7節に語られています。
8節からは、闇と光の対比がなされていきます。闇とは、罪のなかにある状態、光とは真理と愛の中にある状態を指していると言ってよいでしょう。
15節からは、賢く生きるように勧めます。賢くと言っても、この世の賢さではなく、創造主を尊び、主イエスを愛する心から出て来る、主のみこころに添った生き方から出て来る賢さです。20節には、「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父なる神に感謝しなさい」とあります。感謝は、4節にもあります。
そして、「何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい」(10節)とも、「愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい」(17節)ともあります。
聖書は単刀直入に、「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」と言います(ヘブル11:6)。それでは、どんな信仰が求められているのでしょうか。聖書はいろいろな角度から語っていますが、二三、取り上げてみましょう。
ローマ人への手紙4章24、25節。「私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです。主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるためによみがえられました。」
ローマ人への手紙10章9節。「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」
主イエス様が私たちのためにご自身を死に渡され、三日目によみがえられたことを信じる信仰を、神様は喜ばれるのです。
イエス様のたとえ話の中に、この神様の喜ばれる姿が語られています。ルカの福音書15章11節からお読みください。家出をし、帰って来た息子を迎える父親の姿が描かれています。「急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物を履かせなさい。そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。」この祝宴を始めた父親の姿に、神のもとに帰って来る人を喜ばれる姿が描かれています。
主イエス様の十字架のゆえに赦し、そのよみがえりのために新しいいのちを与えるのは、神様の喜びなのです。私たちが神様を喜ぶのと、神様が私たちを喜ぶのが交わり、御国は喜びの世界なのです。