聖日礼拝メモ 3月1日
聖書 詩篇34篇1−22節
この詩篇は、いわゆるイロハ歌ですが、少し変形しています。一つだけ、欠けています。でも、ほとんどがヘブル語のアルファベットの順に書かれています。大きく分けて、この34篇は、10節までの個人的証しと、11節以降の個人的教訓に分けて考えると分かりやすいでしょう。
初めの3節は、主をほめたたえる礼拝への招きです。羽鳥明先生は、人間が誇るものとして、「自分の容貌、肩書き、顔がきくこと、蛮勇、門地門閥」を上げています。作者は「私のたましいは主を誇る」と歌います(2節)。
5節は、作者のことではなく、一般の人のことのように語っています。「主を仰ぎ見ると/彼らは輝いた。彼らの顔は辱められることがない。」主を求めて救い出していただいた人の喜びです。主を見て喜んでいるのです。
4節と6節は、祈りに答えて救われたことが記されています。「求めること」も「叫ぶこと」も、祈りの中に入ります。4節では恐怖から、6節では苦難から救われています。
9節は主を恐れることの勧め、10節は主を求めることの勧めです。
11節から箴言にある教えのような文章になります。ここでは、悪を行わないことにより、主からの報いがあることが語られています。
17節は、6節を繰り返しています。
18節は、多くの人が心に留めるお言葉です。「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。」詩篇51篇17節を思い出します。「神へのいけにえは/砕かれた霊、打たれ/砕かれた心。神よ/あなたはそれを蔑まれません。」砕かれた心とは、自分で何とかしようとする心を捨てて、神の前に明け渡して静まる心です。主はそのような心の持ち主に助けを、恵みを注いでくださいます。
19節の「正しい人には苦しみが多い。しかし、主はそのすべてから救い出してくださる」という言葉には、地上の人生を超えて考えることができます。栄光のからだによみがえる日には、もう苦しみはなくなるのですから。
20節は、救い主のことを預言している言葉と取れます。十字架につけられた三人の真ん中で、イエス様が息を引き取った後、役人がやって来て両隣の犯罪人のすねを槌で叩いて折ったことが、ヨハネの福音書に記されています(ヨハネ19:31-37)。しかし、イエス様は息を引き取った後だったので、折られなかったのです。
21節は悪に対する報いが、22節では、主に身を避ける者の贖いが記されています。「責めを負う」人と「責めを負わない」人が対比されています。責めを負わない人は、『贖い』によって免除されているのです。主イエス様の贖いが生きています。
この詩篇は、因果応報の教えが含まれていますが、単に良いことをしなさいと勧めているのではありません。人生にはいろいろなことがあるから、神様に祈れることは大きな助けなのです。それは、因果応報を超えるものです。「求める」、「叫ぶ」、「身を避ける」など、祈れる幸いが含まれているのです。
さて、7節に戻ります。「主の使いは、主を恐れる者の周りに陣を張り、彼らを助け出される」とあります。エリシャを捕らえに来たアラムの兵士たちを見て、エリシャのしもべは恐れましたが、エリシャはしもべの目を開いてもらって、御使いたちが陣を張っているのを見せた記事がありました(Ⅱ列王記6章)。イエス/キリストが受肉なさる前に現れたことを連想します。主を恐れる者に、主は御使いを遣わしてくださっているのです(マタイ18:10)。旅人を守った御使いの話を思い出します。テントで寝起きしていた旅人を襲おうとした盗賊が、テントを守る大男のために襲えなかったというのです。御使いを信じていますか。
8節には、「味わい/見つめよ。主がいつくしみ深い方であることを。幸いなことよ/主に身を避ける人は」とあります。この「味わい/見つめよ」という文句が気になりました。いろいろな聖書を見てみました。日本語では、「深く味わい知れ、主は優しい方」というフランシスコ会の訳が分かりやすかったです。英語では、「自分で主が親切な方であることを発見しなさい」とか、「自分で、主がどんなに良い方かを見出しなさい」というような訳がありました。味を占めるほどに、主のいつくしみを理解することが勧められていると言えるでしょう。ペテロは、「あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました」と言っています(Ⅰペテロ2:3)。
罪を赦された味わい、神の子とされた味わい、主イエスと同じ相続人とされた味わい、永遠のいのちを受けた味わい、神との和解の味わい、主に訴えて心が軽くなった味わい、主の言葉が心にジーンときた味わい、主の導きに気づいたときの味わい——私たちは何とすばらしい救いにあずかっているのでしょうか。
小田満師は、祈れること、それに答えていただけること、援助を受けられること、そして贖いが与えられていることで、主のいつくしみ深さを知ることができると、まとめています。
「さあ、主に信頼しましょう。そうすれば、どんなに神が恵み深い方か知ることができます」とは、新しいリビング・バイブルの訳です。経験を通して知る主のいつくしみ! しかし、私たちはまだまだ少ししか知らないのではないでしょうか。もっともっと主のいつくしみを味わいたいものです。