聖日礼拝メモ 2月22日

聖書 ヨナ書4章1−11節

 ヨナは神様に信頼されて、ニネベに派遣された預言者でした。しかし、ヨナは、その使命に反して、ニネベとは反対方向のタルシシュ行きの舟に乗り込んだのです。神様は嵐と大魚を用いて、ヨナを扱われます。

 ヨナは大魚の腹の中で祈ります。彼は「聖なる宮」を慕う心があるのです。みこころに背いているヨナの心の中に、神の宮に行き、神の御前に立つことを願う思いがあったのです。預言者なのです。(クリスチャンの心の底にある願いは、イエス様にお会いしたいという思いです)

 さて、ヨナは祈りのうちに約束したとおりに、主の命令に従い、ニネベに行きます。そして、「四十日すると、ニネベは滅びる」という、主のメッセージを伝えます。ヨナはそのとおりに、ニネベが滅びることを願っていました。「ほろび」や「さばき」について語るとき、滅びないように、さばかれないようにと願って語ったのが、イエス様でした。私たちの語り方も同じ姿勢で語るのです。

 ニネベの町の人たちは、四十日してニネベが滅びるというヨナの姿を見て、恐ろしくなりました。主の言葉に背いてタルシシュに逃げようとしたヨナの姿、大魚に呑まれて吐き出されたヨナ、海岸から400㎞も離れたニネベまで歩いてやって来たヨナーーそれは、みすぼらしい姿だったのではないでしょうか。神の言葉に背くことの恐ろしさを伝える姿だったでしょう。それで、ニネベの人たちは、ヨナの語るメッセージを信じて、悔い改めに向かったのです。

 ところが、ニネベの人たちの態度を見て、神様はニネベを滅ぼすことを中止しました。そこでヨナは、文句を言います。「ああ、主よ、私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです。あなたが情け深く、あわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。ですから、主よ、どうか今、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましです」(4:⒉-3)。

 ヨナは預言者です。神のご性質を知っていました。彼は自分が頼りにする神が、どのような神であるかを知っていたのです。自分が祈る神の性質や心を知らずに祈ると、「いわしの頭も信心から」のような信仰になってしまいます。ヨナが上げている「情け深くあわれみ深い神、怒るのに遅く、恵み豊かな方」というとらえ方は、モーセ(出エジプト記34:6)やヨエル(ヨエル2:13)などが伝える神のご性質です。

 ヨナは神様を正しく捉えていたのに、何が不満で「死んだほうがましです」と言ったのでしょうか。ニネベは狂暴で恐ろしい町だから滅んだらいいと考えていたのでしょう。ところが、彼が「四十日で滅びる」と言ったのに、神様は滅ぼさないようなのです。それが気にくわなかったのです。預言者としての顔が丸つぶれになることも、彼の怒りの原因かもしれません。神様のみこころよりも自分の意見のほうが第一になっていたのです。これは私たちも警戒しなければなりません。

 そんなヨナを神様は見捨てませんでした。掘っ立て小屋を作って、成り行きを見守るヨナに、唐胡麻を生えさせて暑さをしのぐようにして下さったのです。ヨナは喜びました。しかし、夜のうちに虫に食われた唐胡麻は枯れ、暑い東風がヨナを苦しめました。すると、彼は「私は生きているより、死んだほうがましだ」と言います。神様は自分を愛しているけれども、ニネベの町は滅んでいいのだ、と考えたヨナは、偏見を抱いていたのです。それで生きているのが嫌になったと言います。わがままと言ってもいい態度です。

 唐胡麻が枯れた後で、神様は言われました。「あなたは自分で労せず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」

 この「右も左も分からない」人たちとは、まことの神を知らず、正しく善悪の判断ができない人たちのことです。これはニネベに限らず、今の日本も同じではないでしょうか。詐欺でだます人、だまされて何万円、何億円も無くす人がいるではありませんか。神様は、ニネベを惜しまれたように、私たちを惜しんでおられる。

 さて、先々週はモーセを取り上げ、先週はエリヤを取り上げて、もう生きていたくないと言った人たちのことを考えました。今朝は同じように、生きるより死んだほうがましと言うヨナを考えました。ヨブも死にたいと訴えた人でした。使命の重さに耐えられなくなったモーセ、疲労困憊したエリヤ、偏見のヨナでした。同じように死を願う人にも、それぞれの考え方、人生の見方があるのです。人間はなんと複雑なのでしょう。

 その複雑な人間を、一人ひとり知った上で、扱って下さる神様がおられるのです。この神様にこそ、信頼して生きていきましょう。やるべきことが重すぎると感じるときも、疲れ果てた時も、みこころと自分の考えが合わないときも、病気で苦しむときも、この方に信頼して、頼っていきましょう。神さまは、ニネベだけでなく、あなたを惜しんでおられるのですから。神様の愛に信頼して生きましょう。

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