聖日礼拝メモ 2月1日
聖書 ルカの福音書10章17−24節
今朝は、七十二人の弟子に対して、イエス様がどのように語られたかを学びます。
この弟子たちは、何日もかけて伝道に行ってきたのです。イエス様の権威をいただいて成し遂げた伝道は、思わぬ喜びをもたらしました。それは、悪霊でさえ従うという経験でした。
彼らは、「あなたの御名を用いると」と報告しています。ある人は、御名の使い方は、「この印籠が目に入らぬか」のような使い方ではないと説明します。御名に包まれている感覚(信仰)で、奉仕することです。ナチスと戦ったニーメラーは、「私はこれまで福音を持ち運ぶ者でしたが、今では福音が私を持ち運んでいます」と言いました。彼も、皆の中に生きた人でした。
弟子たちの喜びの報告でしたが、イエス様は、言葉を加えています。まず、彼らが悪霊を追い出したことは、サタンの敗北の現れであるということ、そして、彼らは何の害も受けないように守られたことを語った上で、「しかし」と語りかけます。
「しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
ここには二つの喜びが対比されています。一つは、悪霊が服従する経験に伴う喜びですが、御国に行けば悪霊はいなくなりますから、地上だけの喜びでしかありません。そのような賜物を持つ人が自分の救いを忘れるなら、主は悲しむことでしょう。
それに比べて、もう一つの喜びは、永遠につながる喜びです。救いの確かさを示す、自分の名前が天のいのちの書に書き記されていることほど幸いなことはありません。
この天に名前が記されるという恵みは、モーセに時代から伝わってきた祝福です。モーセは、イスラエルの人たちが金の子牛の像を作ったときに、自分の名前を削ってもいいですから、彼らを赦してくださいと、取りなしたのでした。
イザヤ書4章3節。「シオンに残された者、エスサレムの残った者は、聖なる者と呼ばれるようになる。みなエルサレムに生きる者として書き記されている。」
ダニエル書12章1節。「その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかしその時、あなたの民で、あの書に記されている者はみな救われる。」
ピリピ人への手紙4章3節。「そうです。真の協力者よ、あなたにもお願いします。彼女たちを助けてあげてください。その人たちは、いのちの書に名が記されてるクレメンスやそのほかの同労者たちとともに、福音のために私と一緒に戦ったのです。」
黙示録3章5節。「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。またわたしは、その者の名をいのちの書から決して消しはしない。わたしはその名を、私の父の御前とみ使いたちの前で言い表す。」
これらの聖句は、天にあるいのちの書に登録されている名前を表しています。ところが、エレミヤ書17章13節には、次のような言葉があります。「わたしから離れた者は、地にその名が記される。いのちの水の泉である主を捨てたからだ。」天に名前が記されるか、地に名前が記される、つまり陰府に記録されるか、私たちにはどちらかなのです。ですから、天に名前が書き記されていることを喜ぶことは当然のことです。
どんな奇跡を行う力よりも、比較できないほどすばらしいことが、天に名前が書き記されることです。これは、奇跡中の奇跡です。主をほめましょう。