聖日礼拝メモ 1月25日

聖書 ローマ人への手紙10章8−17節

 今朝は、教会総会が行われる朝です。み言葉に聴き、心を整えましょう。

 ローマ人への手紙は、大きく三部に別れています。第一部は、救いについての教理的な記述です。第二部は、この10章が含まれる、ユダヤ人の問題です。第三部は、実践的な教えです。ユダヤ人が福音にどのように対応したかが語られています。

 パウロが、ユダヤ人の熱心について語るとき、彼自身が熱心であった事を思い起こしながら語っているように見えます。彼はクリスチャンを迫害するほどに熱心にユダヤ教に進んでいました。彼の熱心の源泉は、律法を守ることにありました。そして、彼自身は自信を持って守っていたのですが、守らない人を懲らしめなければならないと思い、クリスチャンを迫害しました。ところが、ダマスコへの途上で、主イエスの幻に打たれ、自分の自信が崩れ去りました。そして、パウロはイエスを主と認め、この方の言葉にこそ、いのちが宿っていることを知ったのです。そして、律法は彼を追い立てるものでなくなりました。キリストにこそ信頼して生きることが、神に喜ばれることと知ったのです。ここに福音の理解があります。福音がパウロのうちに信仰をもたらしたのです。

 彼は言いました。「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」と言い、「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」と語っています(9-10節)。

 パウロは、ユダヤ人に福音は伝えられていたのに、彼らはそれを聞こうとしないで、自分の流儀で通そうとしたのだ、と言います(3節)。そして、福音は伝えられなければならなかったと、言います。それが13節以下です。

 「主の御名を呼び求める者はみな救われる」とは、ヨエルの預言の中にある言葉で、ペンテコステの時にペテロが引用した言葉です(使徒2:21)。この言葉から、呼び求めるためには、信じることが必要で、信じるためには聞くことが必要と、語ります。さらに、聞くためには宣べ伝えられなければならず、宣べ伝えるためには遣わされる必要があると語っています。

 そこで「遣わされる」とは、教会のことです。教会は、福音を伝えるために建てられています。昨年召された姉妹は、教会案内をご自分の近所に配っていました。それは尊いわざでした。主が喜ばれることでした。

 その原動力は、キリストの愛です。パウロは、「キリストの愛が私たちを捕らえている」と語ります(Ⅱコリント5:14)。捕らえると訳されている元の言葉は、「無理強いさせる」(constrain)、「強いる」(compel)、「支配する」(rule)、「動かす」(move)、「説得する」(urge)、「圧倒する」(overmaster)、「とりこにする」(フランシスコ会訳)などと訳される言葉です。

 パウロを捕らえてキリストの愛とは、どんなに大きなものだったことでしょう。私たちは器が小さいため、パウロほどには捕らえられていないかもしれませんが、イエス様の十字架の死と三日目の復活を信じている、その事実は変わりません。小さい信仰であっても、キリストの愛を頼りにして生きています。それを何とか形にすることは、大切です。福音を、つまり「良い知らせを」伝えるために、知恵と力を尽くしていきましょう。それは麗しいことなのですから。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は。」

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