聖日礼拝メモ 12月7日

聖書 エレミヤ書31章27−34節

 旧約聖書には、救い主を示すものがたくさんあります。ここでは、エレミヤが示す希望について学びます。それは、「新しい契約」と記されているものです。

 古い契約とは、モーセの時代に結ばれた契約です。そこには、律法と天幕と祭司制が一体となっていました。しかし、ユダヤ人にはその契約は重すぎました。心から守ることができなかったのです。なぜなら、神から離れた罪の状態では、そのもたらす弱さが妨げとなったのです。

 モーセ亡き後、人々は律法を守らず、エジプトから救い出してくださった主なる神様を無視し、自分勝手に歩み、目に見える偶像を追い求めたのでした。それは、エレミヤの時代に頂点に達していました。エレミヤは、なんとか、律法を守る民に戻ることを願って、預言活動をしました。

 そんなエレミヤに、神様は、希望を与えてくださいました。23章5節には、「そのとき、わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この地に公正と義を行う」とあります。この「正しい若枝」が救い主を表しています。またそのすぐ後に、「彼の時代にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。『主は私たちの義』、それが、彼の呼ばれる名である」と書かれています。この「主は私たちの義」という名前も救い主を表しています。罪に満ちた世に生きていたエレミヤは、この救い主が早く来られるように、願ったことでしょう。

 さて、エレミヤの預言の中で、新約聖書に引用されている箇所が、今日の聖書箇所です。ヘブル人への手紙を書いた人は、様々な神殿の儀式では作り変えられなかった心に、主イエスの恵みのわざがなされ、心の一新が与えられることを記しています。そのために、主イエスが十字架で死なれ、三日目によみがえられたことの重要性を証ししています。

 新しい契約は、この心の一新をもたらす恵みの契約です。単に罪を赦されただけでなく、心から主を愛し、主に仕える者に造り変えてくださったのです。

 人間の心は、動き回ります。ですから、時には主を忘れてしまうほどこの世のことに熱心であることがあるでしょう。その時も、主は支え、導いてくださる方です。周りで起こることを無視するのではなく、その中にあっても主の愛と恵みを見出して生きていきたいのです。私たちは、イエス・キリストの贖いの血による聖めを不断に必要としているのです。

 エレミヤの言葉の中に、「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒やしがたい」とあります(17:9)。その癒やしがたい心を造り変えて、律法を、主のみこころを喜んで生きるようにしてくださるのは、ただただ主の恵みです。

 「恵み」というのは、神から離れて捨てられても当然の者たちを愛してくださったからです。それに、正しいことを積んで赦されたのではなく、何の功績もない者に救いを与えてくださったからです。さらにその救いを保証するために、聖霊を与えて、「超自然的影響」のもとで救いを現実の中で生きていけるようにしてくださるのも、大いなる恵みです。

 今朝は聖餐式が行われます。イエス様は「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です」と仰いました(ルカ22:20)。この恵みの契約を象徴して行われる聖餐式です。主の恵みをあがめ、主に感謝し、お仕えしてまいりましょう。

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