聖日礼拝メモ 11月9日

聖書 ヨハネの福音書1章35−42節

タイトル 「アンデレについて」

 今月は宣教強調月間と言われています。来週は宣教聖日です。今朝は、使徒の中で一番始めにイエス様に出会ったアンデレに目を向けて見ましょう。

 バプテスマのヨハネのもとにいた二人の人が記されています。そのうちの一人がアンデレであったことが書かれています(40節)。アンデレは、荒野で伝道していたバプテスマのヨハネのもとに行った人です。それは、このヨハネが「神の国は近づいた」とか、「悔い改めて心を備えなさい」というメッセージを伝えていました。アンデレは罪を自覚してバプテスマを受けた人と見ることができます。

 また、この時は、「神の子羊」というヨハネのことばを聞いたのです。このことばにも、アンデレは感じるところがあり、イエスの後を追ったのです。そして、その日、何時間もイエス様のことばを聞き、メシアと確信したのでした。

 アンデレの心は暖かいものを感じていました。「まず」兄のシモンに伝えました。そして、兄は、ペテロという名をいただきました。これがイエス様との出会いでした。その後、ガリラヤ湖で魚を取る漁をしていたところに、イエス様がやって来て、「人間をとる漁師に」なるのだと、イエス様は二人を招きます。アンデレとシモンは、イエス様について行くことになります。弟子としての訓練を受けるのです。

 そして、たくさんの弟子の中から12人が選ばれて、使徒となります。その中にアンデレとシモンの兄弟が入るのです。彼らが特別に優れた人だったからではありません。彼らは、議員たちから「無学な普通の人」と言われています(使徒4:13)。私たちも、イエス様の訓練を受けるなら、イエス様の弟子、イエス様の喜んで遣わしてくださる人になれるのです。

 その後のアンデレの姿は、福音書の中に、時々出て来ます。マルコ1章29節には、イエス様が「シモンとアンデレの家」に来られたことが記されています。そのとき、シモンの姑の高熱を癒やしていただいたのです。

 人々が何時間もイエス様の話を聞いていて、お腹が空いてきたとき、イエス様は彼らに食べ物をあげなければならないと、弟子たちに言われたとき、アンデレは、五つのパンと二匹の魚を持っている少年を連れて来ました(6:8)。イエス様はそれを受け取って、人々に十分満足するまで食べさせてあげました。アンデレは、これを知って、イエス様の手に渡すと、何でも善処してくださると悟ったのではないでしょうか。

 また、ギリシア人がイエス様に会いたいと願ってきたとき、ピリポがアンデレに相談して、イエス様に伝えた記事があります(12:20以下)。ピリポにとって、アンデレは外国人にも理解があって、寛大で、頼りになる人と思っていたのでしょう。

 イエス様の伝道生涯の終わり近く、弟子たちと神殿を眺めていたとき、世の終わりの話しになりました。そのとき、聞き入っていた弟子たちの中にアンデレがいました(マルコ13:3)。

 アンデレの名は「男らしい」という意味だそうです。父の名はヨナともヨハネとも言われています。彼の晩年について、伝えられている話では、十字架につけられるとき、イエス様と同じ十字架ではもったいないと、エックス型の十字架につけられたと伝えられています。このエックス型の十字架のことを、アンデレの十字架と言われるようになりました。

 宣教という面から考えてみましょう。アンデレは兄シモンをイエス様のもとに連れて来ました。その結果、十二使徒の中でも筆頭になるシモン・ペテロが生まれたのでした。シモンを回心させたのはイエス様です。私たちは、イエス様のもとに人々を連れて行くなら、幸いな宣教に参加できるのです。ギリシア人がイエス様に会いたいと言ってきたとき、その仲介をしたアンデレの姿にも、同じことが言えます。

 少年がパンと魚を持っているのに目を留めたアンデレは、小さいことにも気がつく人だったのでしょう。少年のように、幼い子どもをイエス様のもとに連れて来ることは、イエス様が喜ばれることです。

 宣教は、イエス様の再臨まで続けなければなりません。全世界のあらゆる民族に福音が伝えられなければならないからです。そのために遣わされている宣教師のために、祈り、献金をすることは、宣教に参加することです。祈り会にも参加しましょう。

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