聖日礼拝メモ 11月23日
聖書 イザヤ書9章1−7節
イザヤは、旧約の福音書と言われるほど、救い主の誕生からその奉仕、そして死について預言しています。今朝は、9章を開きます。
8章の最後には、「彼が地を見ると、見よ、苦難と暗闇、苦悩の闇、暗黒、追放された者」という、きわめて厳しい悩みと苦しみがあると書かれています。そして、9章の始めは、それに対して救いの現れが記されています。
「しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。」ここに希望があります。そして、「ゼブルンの地…ナフタリの地…海沿いの道…ヨルダンの川向こう…異邦の民のガリラヤ」とイスラエルの北方の地域の名前が記されています。この地域は、アッシリアのティグラト・ピレセル王の手で激しく苦しめられた地域です。そこから、救いの御手が表されるのです。この節は、マタイがイエス様の伝道を開始し、巡回した地域であることを記しています。イエス様がこの預言を成就したのです。
2節では、「光」が強調されています。ルカの福音書2章に、羊飼いを照らした「主の栄光」が記されています。イエス様の福音が輝いたのです。イエス様ご自身が光でした。
3節には「喜び」が、「楽しみ」が強調されています。福音のもたらすもの、救い主のもたらすものが、言い表されています。
4節は、「くびき…杖…むち」が取り除かれることが預言されています。罪がもたらす痛みを告げるものが取り去られるのです。5節は、さらに苦しみを思い出させるものが処分されると言われています。
そして、6節に、救い主の預言が明確に現れます。この節には、救い主の称号が四つ、記されています。これは、戴冠式で行われる称号の授与を表しています。エジプトでは五つの称号が与えられていました。そのため、「不思議な助言者」を二つに分けて、「不思議」と「助言者」としている聖書もあります。
不思議な助言者と言われる救い主は、知恵と機転がきく方です。福音書には、イエス様のすばらしい事績がしるされています。取税人のレビがイエス様の弟子になったとき、宴会をしました。その席でパリサイ人が文句を言ったのを知って、イエス様は、「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです」と答えました。ここには愛が満ちています。
「力ある神」は、そのとおりです。救い主の神性が示されています。
「永遠の父」は、「力」のイメージと対極にある愛のイメージです。養い、指導し、守る「父」のイメージです。それが、「永遠の」と言われています。何とすばらしいことでしょうか。
「平和の君」は、平和と繁栄を意味することばが現れます。神の救い主にふさわしい名前です。
これらの名前を実現し、「ダビデの王座」に着かれる方は、主イエス様です。イエス様がおいでになって、人々は罪の苦しみから逃れることができました。それは、「万軍の主の熱心がそれを成し遂げる」とある成就の日々でした。そして今、イエス様の再臨を待つ私たちです。この再臨も、主のご熱心が成し遂げてくださるでしょう。私たちは、この救い主のおいでを、心を躍らせる出来事として待っています。日々、主を称えつつ。