聖日礼拝メモ 10月19日 特別集会(講師・大兼久芳規先生)

聖書 使徒の働き8章26−31節

 ここには、エチオピアからエルサレムまで、2000㎞の旅をして礼拝にやって来た人物が記されています。この人は女王の高官で、宦官でした。彼がそれほどの遠距離を旅してまで礼拝に参加することは大事だったのです。

 S兄は、八王子の用を済ますと、礼拝のために船橋まで帰っていきました。

 ガンを患ったある兄弟は、もう一回礼拝に出たいと行って、やって来ました。車椅子から母子室に移っても、帰ろうとせずに、礼拝のメッセージに聞き入っていました。この人は命がけで礼拝に出席していたのです。

 さて、このエチオピア人は、どうしてエルサレムまで行こうとしたのでしょうか。彼は、財務大臣にあたる要職にありました。ある日、ユダヤ人の信仰について聞いたのでしょう(将軍ナアマンが、奴隷の女の子の話しを聞いて、エリシャのところを訪ねたようにです)。自分たちの信仰と全く違う、何かに気づいたのです。

 イザヤ書56章⒉-5節には、次のようなことばが記されています。「宦官も言ってならない。『ああ、私は枯れ木だ』と。なぜなら、主がこう言われるからだ。『わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶことを選び、わたしの契約を堅く保つ宦官には、わたしの家、わたしの城壁の内で、息子、娘にまさる記念の名を与え、絶えることのない永遠の名を与える。』」この「記念の名」ということばが、この人の心に恵みとなりました。心に安らぎが生まれたのです。これらのことばは、この高官の心に響いたのです。宦官には子どももいないし、希望がなかったからです。このことばに恵みを感じた彼は、礼拝を守りたいと願ったのです。たとえ一か月かかっても、エルサレムに行って、礼拝に参加したいと思ったのです。礼拝を守るということは、どんなに大切なことでしょうか。礼拝を守れるということは、どんなに大きな恵みであり、特権でしょうか。

 さて、エルサレムで迫害が起こり、ピリポはサマリヤに行きました。そこで多くの回心者が起こり、ピリポは張り切っていました。ところが、主は「南に行きなさい」と語りました。ピリポはすぐに「はい」と答えて、出発しました。そして、この宦官の帰り道で、不思議と出会うことになったのです。エルサレムから下る道と、サマリヤから下る道が交差する、ちょうどそこで二人は出会ったのです。ここに、時を支配する神様のご支配が証しされています。

 この夏、神学生が京都の教会に派遣されることになりました。ところが、一人の新学生がすぐに来られない事情がありました。彼が来れば忙しくなるのですが、来られなかったために、末期ガンの方のところに行き、静かに福音を語ることができました。そして、その方はイエス様が十字架で死んで、よみがえってくださったのは自分のためであったことを信じました。神様の不思議な導きでした。

 いつも礼拝に家族を連れて来ていた男性がいました。礼拝に出ても、いつも顔を横に向けて座っていました。ある日、駅のキオスクのところで西日に当たっていたとき、ふと、サウロがパウロに変わった出来事を思い出しました。そして、「あなたは何をしている」と、心にささやかれたのです。自分は妻や子どもに反抗しているのを、思い起こし、悔い改めました。そして、今は「よくおいでくださいました」と教会に来る人を迎える人になりました。変えてくださるのは、神様なのです。それも、不思議な時に。

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