聖日礼拝メモ 11月2日
聖書 ヨハネの福音書19章38−42節
本日は召天者記念礼拝を行います。聖書は、啓示の書です。人間の悟りで作られたものではありません。神ご自身が伝えたいと願って書かれたものです。ただ、書いた人間のほうでは、自分の信仰を表すために書いたのです。その人の心の深いところに働いて、神が書かせたものが聖書です。
さて、今朝の聖書の箇所は、ヨハネの福音書19章です。ここには主イエスの埋葬の様子が書かれています。そして、二人の人物が登場します。一人はアリマタヤのヨセフで、もう一人がニコデモです。
まず、アリマタヤのヨセフがどんな人物か見てみましょう。アリマタヤとは、サムエルが生まれた町と考えられています。高いところにあった町のようです。
このヨセフは、「金持ち」でした(マタイ27:57)。また、「議員の一人で、善良で正しい人」だったと記されています(ルカ23:50)。さらに彼は、「神の国を待ち望んでいた」人でした(ルカ23:51)。それゆえでしょうか、彼は議会がイエス様を死刑にすることに同意していなかったことが知られています(ルカ23:51)。
このヨハネの福音書では、「イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していた」と書かれています(19:38)。それは他の弟子たちと同じだったのですが、この人が「勇気を出して」総督ピラトのもとに行き、イエス様のお体の下げ降ろしを願い出たのです(マルコ15:43)。他の弟子たちが隠れてしまったとき、このヨセフは、自分がイエスの弟子であることを公にしたのです。さらにヨセフは、「岩を掘って造った自分の新しい墓」をイエス様のために提供して、そのお体を納めたのでした(マタイ27:60)。
その時に遣う布、「亜麻布を買い、イエスを降ろして亜麻布で包み」ました(マルコ15:46)。亜麻布は、リネンとかリンネルとも言われ、高級な布です。マタイは「きれいな亜麻布」と言っています(27:59)。
アリマタヤのヨセフは、自分のために造らせた墓をイエス様に提供しました。彼は高齢の人物だったのでしょう。また高価な亜麻布をわざわざ買いに行って、イエス様のお体を包みました。イエス様を慕う思いが表れています。
さて、ニコデモは、イエス様のお体を十字架の上に残しておくことができず、彼も十字架の元にやって来ました。彼はパリサイ人で、議員の一人、教師と言われ、年をとっていました(ヨハネ3章を参照)。また、議員たちがイエス様を逮捕させようとしたとき、役人たちは逮捕せずに帰ってきました。その時、ニコデモはちゃんとした裁判をするべきと、議員たちのやり方に反対したのでした。
そのニコデモは、「没薬と沈香を混ぜ合わせたものを、百リトラ」持ってきたのでした(ヨハネ19:39)。高価な香料をたくさん持ってきました(およそ30㎏)。たぶん、自分一人で持ち運べないので、使用人を使ったのでしょう。これも、彼自身の埋葬のために買っておいたものでしょう。それを、主イエス様のために、提供したのです。王の埋葬などには、これくらいの香料を使ったそうです。
この二人は、イエス様のお体を十字架から降ろす作業を一緒にし(ヨハネ19:40)、お体を拭き、亜麻布を巻き、香料を塗り、それを何度も繰り返し、大切に埋葬をしたのです。最後に墓の入り口に石でふたをして、彼らは帰って行きました。
この二人のイエス様への愛がにじみ出ている埋葬でした。彼らはイエス様が復活することを全く考えていませんでした。ところが三日目にイエス様は復活したのです。その知らせをこの二人はどこで、どのようにして聞いたでしょうか。
ヨセフは、自分が葬られるときを思い、イエス様が復活した墓に葬られることに、どんな感慨を抱いたでしょうか。石を転がしてふたをされた墓の中は、真っ暗です。そこに復活の光が輝いたのです。当時、葬儀は夜行われていました。しかし、クリスチャンたちは、昼間葬儀をしました。人々は驚いたことでしょう。
イエス様の復活は、アリマタヤのヨセフとニコデモの生涯を変えました。あるいは、あのペンテコステの日、120人の中に、この二人もいたことでしょう。二人とも高齢でした。あまり長く生きなかったかもしれません。でも、イエス様の復活を知って、希望を抱いて召されて行ったことでしょう。
私たちより先に召された兄姉も、生涯の中でイエス様に尽くし、今、主の前に喜びと感謝をもって立っていることでしょう。私たちも、この主を見上げ、愛をいただき、希望を抱いて歩んで行きましょう。