聖日礼拝メモ 10月26日
聖書 テトスへの手紙2章11−15節
10月21日は、私たちの教団の創立記念の日です。その背後には、創設者の苦悩の戦いがありました。
蔦田二雄先生は、シンガポールの敬虔なクリスチャン家庭に生まれました。8歳で日本の親戚に預けられ、大きくなってロンドン大学に留学しました。そこで、救いを経験し、使徒の働き1章8節の説教を聞くうちに、召命を受け、父に相談しました。「神に従え」の電報の返事を受け、日本に帰り、神学校に入ります。夏期伝道で遣わされた日本橋で、多くの回心者を得て、教会を起こします。ところが、治安維持法のために捕らえられ、牢に入れられます。その中で、主イエスの恵みに生かされ、自由になったら、神がともにおられるという、つまりインマヌエルという名の教会を始めようと志を与えられます。
敗戦とともに自由になった蔦田師は、青山学院で働きながら、伝道の開始を模索します。広島で原爆を受けて亡くなったと思っていた双子の長谷川姉妹からの連絡を受け、広島の野馳を訪ね、姉妹たちと祈るうち、伝道を開始する決意が固まります。その日が、私たちの教団の生まれた日として、教団創設記念日となります。それが、昭和20年10月21日です。
まだ少ない人数でしたが、翌年21年1月3日に新年聖会をします。その時に語られたのが、テトスへの手紙2章14節でした。そこで、今朝は、テトスへの手紙2章を読んでいただきました。
この11節に、「神の恵みが現れ」たとあります。神から離れてしまった人類をなお愛して、救いの道を開くために、御子を人の世界に遣わされた恵みを語ることばです。主イエスの誕生こそ、その恵みの現れでした。言い換えると、神の御子イエス様が救い主として現れたということです。
救い主の教えは、時間的に書かれています。まず、過去に対して、不敬虔とこの世の欲を捨てることです。財産や名誉、権力を求める欲を捨てることです。現在の生活に対しては、自我を捨てて慎み深く、周りに人に正しく、神に対して敬虔に生活することです。将来に対しては、祝福に満ちた望みを抱いて進むことです。この望みは、主イエスの栄光の顕れ、つまり再臨を望みとすることです。
このような生活の基礎として、14節があります。不法からの贖い、つまり聖化は消極的な面からです。そして良いわざに熱心な者となる、愛の満たしです。きよくされただけでなく、神の愛をみたしていただくのです。
そこに至るために、主イエスは、ご自身を献げられたと書かれています。なんと尊いことでしょうか。神の御子が人となられて、さらにご自分を献げて私たちを聖くしようとしている御愛! 私たちはただこの愛に応えて、全てを献げて生きるだけです。
全てを献げるとは、主からの賜物として、わたしの人生を主に献げることであり、わたしの持ち物の主権をお渡しすることです。その時、み言葉に従い、みこころに従い、御霊に従う生活が送れるのです。
主は、「まず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」と約束しています(マタイ6:33)。この主に従ってまいりましょう。