聖日礼拝メモ 10月12日
聖書 ローマ人への手紙8章12−17節
先週まで、救いのいろいろな面を学んできました。罪からの救い、贖いの代価、永遠のいのちと、進んできました。でも、一回の集会でまだまだ話せていないことがあります。永遠のいのちについて、新しく生まれることとの関係も、今、永遠の神との交わりができることも、話せませんでした。
今日は、神の子とされることと、神の相続人になることを考えます。
パウロは「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです」と言っています(14節)。神の子どもと呼ばれるには、二つの道があります。一つは、神の子どもとして新しく生まれることです。神のこどもとしての性質を受けられます。もう一つは、養子縁組です。法的な面で、神の子どもとして受け入れられるのです。
神の子どもとなることで、神の家族の一員に加えられます。そして、家族の資産を相続する権利を与えられます。その資産とは、「朽ちることも、汚れることも、消えてゆくこともない資産」です(Ⅰペテロ1:4)。そして、パウロは、この人を神の相続人と言っています(17節)。
ヘブル人への手紙を書いた著者は、こうも言っています。「キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反から贖い出すための死が実現して、召された者たちが、約束された永遠の資産を受け継ぐためです」(ヘブル9:15)。ここでは「永遠の資産」と呼ばれているものを相続するのです。地上の資産は消え去るかもしれません。罪のために汚れることもあります(イスラエルは偶像崇拝のために約束の地を汚しました)。しかし、神様が用意してくださった資産は、永遠なのです。奪われることもありません。
使徒の働き20章は、パウロがエペソの長老たちに別れを告げる告別説教ですが、その中で,32節でこのように言っています。「私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。」ここでは、御国を受け継ぐと言われています。つまり、神様は、私たちに御国に来てほしいのです。そして、ともに資産を受け継ぎ、喜び合いたいのです。そこには、豊かな平和と喜び、光があります。その世界を分かち合いたいのです。そのために、御子を天から遣わし、十字架の贖いをなさってまで、来てほしいのです。あなたはどうしますか。
イエス様のたとえの中にも、御国のことが言及されています。「王は右にいる人たちの言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい』」(マタイ25:34)。神の子とされた人たちに用意されている御国は、天地創造の日から備えられていた所です。アダムとエバが罪を犯さなかったら、程なくそこに行かれたのでしょう。しかし、今は、だれでも主イエスを救い主として心に受け入れるなら、神の子どもとされ、神の家族に組み入れられ、御国を相続するものとなれるのです。
エペソ人への手紙1章も見てみましょう。11節に「また、キリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました」とあり、それはあらかじめ定められていたとも書かれています。神様の大きなご計画の中に定められていた御国です。ある意味、私のような者が御国を受けていいのでしょうか、と言いたくなります。しかし、神様のご計画は定まっていたのです。感謝して受けましょう。さらに、14節には、「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です」とあります。すでに、手付金として聖霊をくださっているのです。なんという備えでしょう。どんなに神様が御国に来てほしいと思っておられるかを表しています。神様は、私たちが神の子とされ、新しいいのちをいただき、養子として受け入れられ、ご自身の資産である御国を相続させ、ともに喜ばせたいと願っていることでしょう。それほどの恵みをいただく資格を私たちは持っているのでしょうか。持っていないのに与えられるからこそ、恵みなのですね。ハレルヤ。