聖日礼拝メモ 8月24日
聖書 マタイの福音書14章22−33節
22節には、イエス様が弟子たちを舟に乗り込ませたとあります。それは、直前の奇跡、五千人の給食の後で、人々がイエス様を王に祭り上げようとする興奮から、弟子たちを遠ざけるためでした。それで、イエス様は、群衆を解散させて、山に祈りに行ったのでした。祈りは、イエス様にとって生命線です。父なる神様との交わりは、イエス様にとって慰めであり、力の源泉です。
ところで、弟子たちは、向かい風のために舟を漕ぎあぐねていました。そこへ、イエス様がガリラヤ湖の水の上を、大風にもかかわらず、歩いてきたのです。弟子たちは、オールを漕ぐために、出発点を見ながらの奮闘でしたから、遠い岸辺から近づいてくる動く影におびえ、幽霊だと思って、悲鳴を上げたのです。
しかし、イエス様はすぐに、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と語りかけました。弟子たちは、驚きましたが、恐怖心は消えました。
すると、ペテロがイエス様に、自分も水の上を歩いてイエス様のもとに行きたいと、願い出ました。イエス様の「来なさい」とのことばに、ペテロは船縁をこえて、水の上に歩き出しました。しかし、大風の起こす波しぶきをあびたのでしょうか。ペテロは怖くなり、沈み欠けたのです。彼は、大急ぎで「主よ、助けてください」と叫びました。漁師だったペテロが泳げることは、ヨハネの福音書の21章に書かれています。でも、この時は沈みそうになって、恐怖を感じたのです。
イエス様は、すぐに手を伸ばして、ペテロをつかみました。そして、二人は舟に乗り込みました。そして、大風は止みました。舟の中にいた弟子たちは、「あなたは神の子です」と言ってイエス様を礼拝しました。
この出来事の中に、大切な真理が現されています。
イエス様がガリラヤ湖の上を歩かれたことは、私たちにとっては不思議なことです。しかし、天地を創造した神の御子が海の上を歩くことは、何の不思議もありません。それを証しするのは、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われたことばの中にあります。この「わたしだ」は、ギリシア語の「エゴ—・エイミー」の訳ですが、ヨハネ8章24節にある「わたしはある」も、この「エゴ—・エイミー」の訳です。つまり、イエス様は、モーセに紹介された神様の名前を語っているのです。天と地を創造した「わたし」がいるのだから、何も心配することはない、と言われたのです。はたして、弟子たちはそう理解できたかどうか、分かりませんが、聖書はそのことを語っています。何とすばらしい真理でしょうか。
さて、イエス様は、ペテロに「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と語りました。リビングバイブルでは、「なぜわたしを疑ったの」と訳されています。ペテロには、イエス様が神の御子であることがまだよく分かっていなかったと言うことでしょう。
でも、助けを求めるペテロを、すぐに助けてくださり、舟に乗り込ませてくださったイエス様を、私たちも覚えておきましょう。さまざまな誘惑や試練に出会って、沈みそうになる私たちを、いつでも、すぐに助けてくださる主イエス様であることを覚えて、信頼してまいりましょう。危険を感じたとき、「主イエス様、私をしっかりつかんでいてください」と祈れるのです。そうした祈りに答えられながら、イエス様が神の御子であることを、何度も確認させていただき、信仰が強められていくのですから。