聖日礼拝メモ 8月17日
聖書 創世記7章11−24節
主なる神が、大洪水で命あるものを滅ぼすと考えたのは、なぜでしょうか。それは、6章に書かれています。「主は地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのを御覧になった」とあります(5節)。
主はアダムとエバの子孫とすばらしい御国を作っていこうと願ったのですが、カインはアベルを殺害するという悲劇が起こりました。そして、悲しいことに、神のみこころを求めて生きる人は、なかなか起こらず、エノクくらいでした。
長寿の時代に人々は堕落して行きました。聖霊は人々の心に働きかけ続けたのですが、罪の波は収まりませんでした。「地は神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていた。神が地をご覧になると、見よ、それは堕落していた。すべての肉なるものが、地上で自分の道を乱していたからである」(創世記6:11、12)。
このような世界を見て、主なる神様はどうなさったでしょうか。
まず、主の心にあったのは、悲しみです。神を悲しませる罪! その悲しみの深さを、私たちは知ることはできません。
次に語られているのは、「わたしの霊は、人のうちに永久にとどまることはない」という決断です。これは、聖霊のお働きが取り去られるということです。このことについては、ダビデの詩篇51篇の祈りが参考になります。ダビデは罪を犯したとき、「私をあなたの前から投げ捨てず、あなたの聖なる御霊を私から取り去らないでください」と祈りました(詩篇51:11)。それは、サウル王が神のことばを実行せず、自分の考えで背いたとき、御霊が取り去られた姿を見ていたからです。それはダビデにとって恐ろしいことだったのです。ノアの時代は、その意味で暗黒の時代だったと言えます。「肉に過ぎない」とは、霊的なことが全然分からない状態です。
さらに、「人の齢は百二十年にしよう」と語られています(6:3)。長寿の時代は終わり、長くても百二十年という意味でしょう。神様の真剣さが現れているように見えます。
次にノアに箱舟を作らせたことです。ノアは、特別の人です。主から恵みをいただいていました(6:8の欄外注)。ノアは、箱舟を作ることに専念しました。時間はどんどん進んでいきます。森に行って、木を伐採し、適当な長さにして、建設の場所に運び、箱舟に組み立てていくのです。今のような道具がなかった時代です。何年も、何十年もかかったことでしょう。
その間、周りの人たちは、ノアを変わり者、時代遅れとか、ばかにしたり、中傷したりしたことでしょう。それでも、ノアは「義を宣べ伝えた」のです(Ⅱペテロ2:5)。つまり、周りの人たちが箱舟に入って、大洪水の滅びから救われるように語ったのです。
聖書は、「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った」と、彼の従順で忍耐深い姿を描いています(6:22、7:6)。箱舟は三階建てでした。ある人は、一階が動物たちのいるところ、二階は飼料の置き場所、三階はノアたちの生活の場、と言っていますが、はたしてそのとおりだったか不明です。でも、箱舟ができあがっていくと、動物たちの食糧となる物を集めるのにも時間がかかったでしょう。
そして、神様が箱舟に入るように命じ、動物たちも入って行きました。そして、「主は彼のうしろの戸を閉ざされた」のです(7:16)。神の忍耐が一つの区切りをつけたのです。もう、だれも箱舟に入ることはできません。人々は、「とうとう不恰好な棺桶、乱心者ノア一家が棺桶のふたを閉めた。しめおったぞ」と笑ったかもしれませんが、ノアは、「だれも入って来なかった」と悲しんで「戸が閉まってしまった」と嘆いたことでしょう。
そして、大洪水が始まりました。四十日四十夜の大雨(7:12 )だけでなく、「大いなる淵の源がことごとく裂け」たのです(7:11)。地下水の源が破裂して、あちこちから水が噴き出したのでしょう。地面は揺れ動き、隆起したり陥没したり、地球は大混乱だったことでしょう。津波もおこったと考えて良いのでしょう。そして、水は百五十日増え続けたのです。
箱舟は水に浮かび、山々の上にただよい、アララテ山にとどまったと書かれています(8:4)。それから何ヶ月もたって、ようやく地面が乾き、ノアたちに箱舟から出るように命じられました。なんと、一年たっていたのです。こんな洪水はほかにありません。聖書は、この洪水のことを「大洪水」という特別のことばを使っています。こうして、ノアたち八人は救い出されたのです。
今、私たちの時代も、主の前に乱れています。パウロは、「終わりの日」のことを書いています(Ⅱテモテ3章)。「自分だけを愛し、金銭を愛し、…情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者になり、…向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者になり、見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者」たちの世界になると語っています。そのような時代に、主イエス様は再臨されるのです。そのとき、主はさばきを行います。そのさばきから逃れ、主の前に立つことができるため、私たちの箱舟となってくださる方こそ、十字架の贖いを成し遂げてくださった主イエス様です。
「信仰によって,ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたとき、おそれかしこんで家族の救いのために箱舟を造り、その信仰によって世を罪ありとし、信仰による義を受け継ぐ者となりました」(ヘブル11:7)。私たちも、「まだ見ていない」主の再臨を信じて、十字架の救い主を証ししていきましょう。