聖日礼拝メモ 8月3日
聖書 出エジプト記14章10−25節
暑い日が続いていますが、礼拝の場に集えたことを感謝します。集えない方々のためにも、主の助けを祈ります。
さて、8月は、水に関係した聖句を開いてみたいと思っています。まず、出エジプトの出来事を見てみましょう。
この14章は、ファラオと主が戦っているような章です。モーセは取り次ぎの役を果たしています。
エジプトで奴隷状態だったイスラエル人たちは、エジプトに下された10の災いによって、エジプトを離れることができたのでした。その災いの時も、神はイスラエル人を特別扱いをされました。エジプトに闇が訪れたときも、イスラエル人のいる所は光がありました。最後の災いである初子の死のときも、イスラエル人は、羊をほふってその血を入り口に塗ることで、過ぎ越してくれました。死の恐怖がエジプト中に満ちて、イスラエル人は出て行くことができました。
しかし、ファラオは少しすると、労働力が逃げ出したことを許せず、追跡を始めたのです。
神は、「引き返せ」と言われ、「バアル・ツェフォンの手前で宿営せよ」と命じます。当時の人にはわかったでしょうが、今はこの場所がよく分かりません。でも、イスラエルの人々は、海の手前で宿営したのです。そこへ、ファラオの軍隊がやって来るのです。人々は恐怖に襲われ、主に叫びます。そして、モーセにくってかかります。「エジプトに墓がないからといって、荒野に死なせるために、あなたはわれわれを連れて来たのか。われわれをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということをしてくれたのか。エジプトであなたに、『われわれのことはかまわないで、エジプトに仕えさせてくれ』と言ったではないか。実際、この荒野で死ぬよりは、エジプトに仕えるほうがよかったのだ」と、嫌みたっぷりの言葉をはきます。
しかし、モーセは言います。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは今日見ているエジプト人をもはや永久に見ることはない。主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたはただ黙っていなさい」と。モーセの胆力のある言葉です。こんな所で死にたくないと叫ぶ人々に、「神の救いを見」るように勧めるのです。
イスラエル人の恐れは、目に見えるところに捕らわれた思いから出ています。シモン・ペテロが、イエス様に「下がれ、サタン」と言われ、「あなたは神のことを思わず、人のことを思っている」と言われた時に似ています。イスラエル人はエジプトの軍隊を見て、あの十の災いをもたらした神様の恵み、愛と御力に目が行っていないのです。
イスラエル人の前に進んでいた雲が、後ろに回り、エジプトの軍隊との間に入って、彼らを近づかせないように守ってくれました。その間、東風で海を二つに分けて、人々を渡らせてくださったのです。「水は彼らのために右も左も壁となっていた」とあります(29節)。そして、彼らは渇いた地面を進んだのでした。「イスラエルは、主がエジプトで行われたこの大いなる御力を見た。それで民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた」(31節)のでした。
「大いなる御力を見」ることから信仰が生まれました。「私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる」のも、同じ信仰です。この大いなる御力と愛に満ちた救い主を信じ、すがって、希望と平安をいただいて進みましょう。