聖日礼拝メモ 7月20日

聖書 ルカの福音書4章14−21節

 主イエスの生涯と聖霊の関係を見つめます。その誕生、奉仕、そして十字架と復活について考えてみましょう。

 主イエスの誕生については、クリスマスに何度も教えられたことですが、御使いガブリエルのお告げに対して、マリアは「どうしてそのようなことが」と疑問を示します。御使いの答えは、「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます」でした(ルカ1:35)。聖霊は、イエス様のからだを造られたのです。それまでも、イエス様は人間の前に御使いのようにして現れたことがありましたが、この出来事は全く人間になられる出来事でした。そのたまに聖霊は働かれたのです。

 神の御子が人間になるのは、人間を救うためでした。しかし、それだけではありません。それは、後から話します。

 二番目の奉仕についてですが、まず、バプテスマを受け、荒野の試みがあってから、本格的な奉仕に入りました。

 バプテスマのとき、「聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って」来られました(ルカ3:22)。この時、イエス様は聖霊に満たされ、奉仕の準備が一つできたのです。そして、すぐに荒野の試みを受けます。バプテスマを受けて御霊に満ちたイエス様は、悪魔の巧妙な試みに対して、最適の聖句で対抗し、勝利を得ました。聖句を示されたのは聖霊でした。

 そして、いよいよ奉仕に就かれたのです。イエス様の奉仕は、天からの教えと癒やし、悪霊の追い出しなどです。

 この4章16節からはナザレの安息日の様子が記されています。イザヤ書が手渡され、61章の冒頭を読みました。そこに「主の霊がわたしの上にある」と、主の教えの基本が聖霊によることを示されていました。その時、この引用されたお言葉の直後に、『主の復讐の日』という言葉があるのですが、イエス様はそこを読みませんでした。それは、再臨の時のことだからでしょう。

 悪霊の追い出しに関しては、イエス様ご自身の言葉が残っています。「わたしが神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです」(ルカ11:28)。この「神の指」という表現は、モーセがエジプトでブヨを出したとき、呪法師たちがファラオに言った言葉を思い起こさせます。「これは神の指です」(出エジプト8:19)。神の力が働いていたのです。つまり、悪霊を追い出すわざは、聖霊によってなされていたのです。

 病気の癒しについては、5章17節に「イエスは主の御力によって、病気を治しておられた」とあります。使徒10章38節で、ペテロは言っています。「神は、このイエスに聖霊と力によって油を注がれました。イエスは巡り歩いて良いわざを行い」とあります。その良いわざの中に癒しが入っています。

 教えについて、「神が遣わした方は、神のことばを語られる。神が御霊を限りなくお与えになるからです」とあります(ヨハネ3:34)。イエス様はよくたとえ話をしましたが、それは聖霊がお与えになった知恵によるのです。

 ルカの福音書10章21節には、「イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた」と記されています。主イエスの知的な教えだけでなく、感情的な面にも聖霊の恵みが注がれていたことが分かります。ラザロの死について、涙を流されたイエス様の心には、深い悲しみがありましたが、それも聖霊のお働きの結果と言えるでしょう。

 最後に、主イエス様の十字架と復活を見てみましょう。ヘブル人への手紙9章14節では、「キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになった」と記されています。ゲッセマネで祈られたときも、聖霊の助けをいただいていましたが、十字架につけられるとき、イエス様を支えていたのは聖霊の力でした。

 そして、復活も聖霊によるのです。ローマ人への手紙1章4節には、こう書かれています。「聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として、公に示された方、私たちの主イエス・キリストです」と。

 また、使徒の働き1章2節を見ると、復活されたイエス様が弟子たちに最後の教えを与えています。ルカは、こう記します。「それは、お選びになった使徒たちに、聖霊によって命じた後、天に上がられた日までのことです」と。復活されたイエスサmは、ご自分の力で教えてもかまわないと思うのですが、「聖霊によって命じた」とあります。人間となられたイエス様は、徹頭徹尾、聖霊にお頼りして生涯を全うされたのです。

 救い主は、預言者であり、王であり、祭司の務めを果たします。イエス様は、聖霊によって教える預言者でした。聖霊によって癒やし、悪霊を追い出された王でした。そして今、天のおいて執りなしをなさる祭司として御座に着いておられます。それも、聖霊の執りなしと心を合わせておられます。

 これらのことから、主イエス様が聖霊に拠り頼んで生きたことが分かりますが、それは人間のあり方を示したものです。私たちに、人としての模範を残されたのです。人は、聖霊に満たされてこそ、人間らしく生きられるのです。聖霊のお働きをいただき、信頼と服従をもって生きていきましょう。

 

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