聖日礼拝メモ 7月6日

聖書 ハガイ書2章1−9節

 ハガイ書はたった2章しかない、短い書です。この中に、「主のことば」、「主は言われる」、「万軍の主はこう言われる」など、何度も主の語りかけがあったことが記されています。それは、ハガイの時代に必要な語りかけでした。それでは、ハガイの生きていた時代とはどのような時代だったのでしょうか。

 エルサレムがバビロン軍によって破壊されたのは、紀元前605年から紀元前586年における三度の攻撃によります。第一の攻撃の時に、ダニエルたちが捕囚としてバビロンに連れて行かれました。それから70年の後、クロスによってユダヤに帰還が許されました。というか、帰還を命じられたのです。その第一陣の帰還者がゼルバベルのもとで帰ったのです。

 エルサレムに帰った人たちは、まず神殿の再建に取りかかったのですが、妨害が入り、何年か工事は中止しました。そのような中で神殿の再建に取りかかるように、ハガイは預言をしたのです。

 「主の宮を建てる時はまだ来ていない」という人々に対して、主は、「あなたがたの歩みをよく考えよ」と語り、不作や乏しさをもたらしたのは、自分の家のことで走り回っていて、主の宮に関心がないからだ、と言われたのです。そして、「山に登り、木を運んできて、宮を建てよ」と命じたのでした。これに対して、ゼルバベルと大祭司ヨシュア、それに民が立ち上がったのです。それを認めた主は、「わたしは、あなたがたとともにいる」と励ましてくださったのでした。

 神殿の再建が始まるために、燃やされた物の後片付けがありましたし、収穫の時期でもありましたから、少ししてから、再建工事が開始しました。ところが、70年前のソロモンの神殿の華美な美しさを知っている人たちは、再建されていく宮を見て、情けなくなってしまいます。それを、神様はご存じでした。そして、こう言われたのです。「あなた方の目には、まるで無いに等しいのではないか」と。たしかに、契約の箱も、ケルビムの輝く姿もなく、ソロモンが張り回した金の輝きもありませんでした。しかし、主は、別の見方を示したのです。

 「ゼルバベルよ、強くあれ。…大祭司ヨシュアよ、強くあれ。…すべての民よ、強くあれ、…仕事にとりかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。……万軍の主のことば……わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊はあなたがたの間に留まっている。恐れるな。」

 何という励ましでしょう。主がともにいてくださり、主の霊が留まっていてくださる(働いている)とは、すばらしい恵みです。これなしに、神殿の再建はできないのです。

 さらに、「この宮のこれから後の栄光は、先のものにまさる」とは、ソロモンの神殿の華やかさと比べても、さらに優れた栄光がこの再建される神殿に輝くのです。それは、救い主ご自身が来られるからです。ルカの福音書では、、「わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか」という12歳のイエス様のことばが残されています(ルカ2:49)。そして、「わたしの父の家を商売の家にしてはならない」と言われたことも記されています(ヨハネ2:16)。

 ハガイは、これらのことばを預言しながら、救い主のおいでを待っていたのでしょう。ハガイにとって、聖霊は、指導者と民を励ますみ心を教えてくれた教師でした。そして、救い主の恵みを慕う心が生まれる預言の霊でもありました。

 さて、2章の終わりに、神がゼルバベルを選んで「印章」とすると書かれています。これは、祖父のエコンヤが王の家系から外されたことが解除されたことのように見えます。エレミヤ22章には、エコンヤが神の指から外される印と記されているからです。そこには、「この人を『子を残さず、一生栄えない男』と記録せよ。彼の子孫のうち一人も、ダビデの王座に就いて栄え、再びユダを治める者はいないからだ」と記されています(22:30)。

 福音書の系図を見ると、エコンヤの名が記されています(マタイ1:12)。その子孫のヨセフは、救い主イエス様の養父ではありますが、実の父ではありません。ですから、エレミヤの預言のことばは、生きていたのですし、ハガイの預言のことばも生きていたと考えられます。

 実際は、マリアがイエス様の母です。マリアの系図をたどると、ダビデ王に行き着きます(ルカ3章)。

 ハガイのベルバベルへの言葉は、救い主の誕生に不思議な道をそなえるものでした。ハガイは、神殿に救い主が来られることや、救い主の系図における微妙な道を開くことなど、救い主に関する預言を語った人として理解できます。まさに、この人も聖霊の助けをいただいていた人です。聖霊は、御子イエス様を指し示し、証しする方であることも、このことから分かります。聖霊を慕って生きましょう。

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