聖日礼拝メモ 5月11日

聖書 箴言31章10―31節

 母の日は、アメリカなどの国々では休日になっているようですが、日本ではそこまではいっていません。でも、スーパーの店先でもテレビでも、母の日の贈り物の品揃えがいっぱいです。

 今から100年も前、アメリカの南北戦争の時、怪我をした兵士を世話するように「母の仕事の日」を設けて呼びかけた人たちがありました。しかし、あまり広がりませんでした。

 1905年にアン・ジャービスが亡くなりました。2年後、その娘のアンナ・ジャービスが母の奉仕していた教会学校の記念会に白いカーネーションを持っていったことが、多くの人に伝えられ、亡くなった母のために白のカーネーション、存命の母のために赤のカーネーションを贈るようになり、百貨店のワナメーカーがそれを広めたと言われています。ちなみに、オーストラリアでは菊の花を贈るそうです。菊は英語の単語としては長いほうでクリセンセマムと言いますが、最後のマム、すなわち母にかけて菊を送るのだそうです。イスラエルでは、シェバット11月(太陽暦で2月ごろ)に母の日を祝うそうです。

 さて、この箴言には、「しっかりした妻」のことを歌ったものがあります。ヘブル語のアルファベットに合わせて22節になっています。節の始めがアルファベットになっているイロハ歌様式です。

 今から4000年も前のものですから、文化が違い、習慣が違いますから、そのままに受け止めないで、いいでしょう。でも、この女性の姿は素晴らしいものがあります。それでは、一節ずつ見ていきましょう。

 10節.「しっかりした妻」は夫の冠だと言われています(12:4)。聖書では、あと一カ所に出て来ます。ルツ記3章11節です。ボアズがモアブの女性ルツをほめることばです。姑のナオミに信頼し、ナオミの信じる神を信じると告白して、自分の故郷を離れて異国に身を置くようになったルツは、ほめられていい人です。この節には、「真珠より尊い」とあるのですが、英語ではルビーとなっていたり、宝石とか珊瑚などと訳されています。価値のあるものとしてほめたたえているのです。

 11節と12節は、夫婦の信頼関係を表しています。

 13節の「羊毛と亜麻」は、布を織って着物に仕立てる材料です。多くの人はこの女性は最高級のものを求めたと言っています。

 14節では、食糧のことに言及しています。シェフが美味しいものを作るために各地から材料を取り寄せるように、「遠い所から」取り寄せるのです。

 15節には「夜明け前」とあります。働き者の姿です。当時、食事のパンを作るのに時間がかかったのです。召使いに用事を言いつけるのは、マネージャーの仕事です。

 16節では、「畑を手に入れ」と、投資家の姿を見せています。さらにぶどう畑を経営する姿まで見えます。

 17節の「腰に力強く帯を締め」とは、昔の人ならたすきを掛ける姿です。

 18節には、投資したものからの収入があったことが記されています。

 19節の「糸取り棒」と「糸巻き」は糸を紡いで布にすることを言っているのですが、これは女性の象徴を表すと説く人もあります。

 20節には、そんな働き者でも、苦しむ人に手を差し出すゆとりを持っていることが記されています。愛の豊かな姿です。

 21節と22節には、高価な染料を用いた衣服やベッドカバーが書かれています。

 24節には、衣料品の生産、販売を手がけていたビジネスをしていたことが記されています。

 25―26節には、品性の円熟した姿を記しています。この人は「恵みの人」です。

 27節から29節は、家の者たちへの彼女の配慮と家族の評価です。

 30節は、この人が単に美貌を持っていたのではないことが暗示されています。「主を恐れる」ことこそ、彼女のもっとも大切なことでした。

 「古代のファッション・デザイナー」というコラムを紹介します。

 「この女性は暗いうちに起き、家の者に食事を整え、貧しい者を助け、畑を買い入れ、ぶどう畑を作り、家庭とビジネスの両方を切り盛りしていた。また優れたシェフで、「商人の船のように、遠い所から食糧を運んで来」た。

 「ここで一番コメントが多いのは、衣服についてである。「羊毛や亜麻を手に入れ、喜んで自分の手でそれを仕上げ」(13節)、「糸取り棒に手を差し伸べ、手に糸巻きをつかむ」(19節)。明らかに彼女は、どの材料を買い、どのように糸を巻いて織っていくのかを知っていた。彼女の作るものは、ただ機能的というだけではなく、人目を引くほど美しかった。「家の者はみな、紅の衣服で身を包んでい」たので(21節)、雪の降るような寒さでも安心していた。高価な紅の染料を、彼女は苦労して手に入れたに違いない。また、「自分のための敷物を作り」(22節)とあるように、寝室のインテリアにも気を配った。彼女のワードロープは、今ならラルフ・ローレンに匹敵するセンスだった。いや、基調色が深紅色という大胆さに、ラルフ・ローレンも驚いたかもしれない。『GQ』誌が取材に来て、「スカーレット・気品ある女性の世界」というタイトルで記事を組んだだろう。カメラマンは、最高級の染め物である「亜麻布と紫の撚り糸でできている」ドレスを着てほしいと頼んだだろう。

 「また「彼女は亜麻布の着物を作って、売り」(24節)とあるように、衣料品の生産販売をしていた。しかもそれは、ただ、隣近所の人に分けていたのではない。「帯を作って、商人に渡す」とあるように、本格的なビジネスだった。

 「この妻には、上記のような手腕よりも、さらに大切な資質があった。それは、主を恐れていたことだ。「麗しさは偽り、美しさは空しい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる」(30節)。だからこそ彼女の品位、知恵、そして信仰こそが何にもまさって大切なのだ。にもかかわらず、彼女のファッションのセンスは、神から与えられた素晴らしい賜物として、その他のいろいろな能力と共に詳しく述べられ、高く評価されている。

 「女性の読者の方々がショックで倒れないように、ここで一言付け加えておきたい。この箴言の箇所は、ある特定の人物を描いているのではない。どんなに腕が良く、働き者で、真面目であっても、一人の女性がここに書かれていること全部をこなすことはできない。「箴言三一章の女性」は、織り手、針子、グルメシェフ、不動産業者、ぶどう園経営者、ソーシャルワーカー、ファッション・デザイナー、母、妻、輸入業者、そして聖人だった。彼女と比べれば、スーパーマンも見劣りするだろう。箴言三一章は、妻たる者がみなこのような資質と能力を備えるようにと迫っているのではない。妻として大切と思われる、あらゆる徳と力を合成写真のように組み合わせ、一人の人として描いているのだ。それは、神を敬う女にとって望ましい業績のリストとも言えるものであって、その中でも中心的なものは、衣服を作るための技術、才能、またイマジネーションだった。聖書は、このような能力はたいへん望ましいものなのだと私たちに教えているのである。」

 神が下さった賜物を生かし、御前に立つ日を覚えつつ、主の十字架の恵みを仰いで過ごしましょう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ