伝道会メモ 10月17日

聖書 イザヤ書43章1節-7節

タイトル 「あなたは自分の本当の価値を知っていますか」川嶋直行先生

 人はみな、自分が価値のある者と思いたいのです。でも、どこにその価値の根拠があるかが大切です。

 この4節に、「あなたはわたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している」とあります。これは神の宣言です。ここに私たちの価値を決定する方がおられるのです。

1 だれが私たちの価値を決めるのでしょうか。

 人は、家柄、才能、仕事、業績、学校の成績などで、自分の価値を判断しようとします。それらは、人の目によって決めているか、自分で決めているかです。

 「恐れるな」とは、自分の価値に不安を感じる私たちへの言葉です。他人の目でも自分の目でも、私たちの価値は決められません。ただ神の目によって決められるのです。神様は、人がどんなに否定しても否定しきれない価値を私たちに見て宣言しているのです。ですから、天変地異があっても、神様の愛は変わらないから、あなたの価値も変わらないのです。むりに頑張る必要もないし、落ち込む必要もないのです。神様の絶対評価が示され、愛されているのです。

2 あなたは贖われている。

 罪とは、神の絶対評価を見失った状態です。人の目を気にして、「あの人より」と比較して、自分の価値を測ろうとすることです。人の目にがんじがらめになっている私たちを解放し、オンリーワンの自分の存在を見出し、神様に愛されている安心と平安の中を生きて行くことを、神様は願っているのです。

 人間は神のかたちに造られています。それが神のもとから離れ、罪の奴隷になってしまいました。この神のもとから失われた者を買い戻すことを「贖う」と言います。イエス様が十字架の上で死なれたのは、そのための代価として払われたのです。イエス様は、私たちを罪の中から神の愛の中に買い戻してくださったのです。

 私たちは人生の時間が経ち、自分のたましいはどうなるのか不安になります。死は、先が分からない不安を与えます。しかし、イエス様はそんな私たちを取り戻してくださったのです。愛の御手の中を歩めるように救い出してくださるのです。

3 神様のサイン入り

 ここの1節に「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの」とあります。神様があなたの名前を呼んでおられるのです。そして、「あなたはわたしのもの」とは、神様の宣言です。

 そんなこと言われても、と思いますか。自分はだれの者でもないと言うか、神様の者になれて嬉しいと言うか、どちらかでしょう。救いの外にいるのと、中にいるのとでは全く違うのです。

 ある時、ガレージセールをしている人の所で3000円で買ってきたハーレーダビッドソンの古いバイクが、エルブス・プレスリーのサインが見つかって、3000万円になったことがあります。サインのあるなしで、全く違う価値を持つのです。神様のものというサインは、私たちの魂に刻まれています。これは消すことができないものです。

 あなたも、神様のもとに帰って、「高価で尊い」存在として生きていきませんか。イエス様の十字架の愛と神様のサイン入りの恵みをいただきましょう。