礼拝メモ 10月17日

聖書 ルカの福音書19章1節-10節

タイトル 「人生は出会いで決まる」川嶋直行先生

序 最近はコロナウイルスの感染の危険があるということで、出会いが少なくなっています。人生80年としておよそ3万人の人と出会うと言われます。そんな中、私たちに大きな影響を与えるのは、まず両親であり、次に伴侶者です。しかし最後は1人になります。その時寂しくならないのはイエス様がいつも一緒にいてくれるからです。そのイエス様との出会いを、ザアカイを通して学びます。

1 ザアカイには友がいなかった

 ザアカイは取税人のかしらで金持ちでした。社会的地位や経済的な豊かさから見れば、彼は勝ち組であり、人生の成功者です。でも、彼には心の渇きがありました。それでイエス様を見たいと思い、町に出て行ったのですが、人々は彼を拒みました。「一緒に見ましょう」という友がいなかったのです。

 人に認められたくて金持ちになったが、それは違っていた。孤立し、空しく、渇いた心になっていたザアカイ。本当の友がほしい。心の空洞を埋めたい。そんなとき、イエス様がエリコの町を通ると聞き、一目会いたくなったのです。

2 救い主との出会い

 勝ち気なザアカイは、人々が見せてくれないので、木に登って、イエス様を見ようとした。素通りすると思っていたら、思わぬ事が起きました。イエス様が足を止めて、上を見上げ、「ザアカイ。急いで降りて来なさい」と言われたのです。

 どうして見ず知らずのザアカイの名前を知っていたのでしょう。噂を聞いたのでしょうか。イエス様は、ふつうなら会いたくない人である、金持ちで意地悪なザアカイにぜひ会ってみたい、と思われたのです。イエス様は、心の中までご存じで、寄り添ってくださり、癒やしてくださり、救ってくださる方なのです。ザアカイの友となろうとして、声をかけてくださったのです。

 この無条件の愛で愛してくださり、罪を赦し、愛する子として受け入れてくださる方なのです。突然のことですから、ザアカイは何も隠すひまもないうちに、家にイエス様を迎えました。すると、自分のしてきたことが見えてきます。だましたり、脅したり、奪い取ったことが良くなかった、と気づいたのです。イエス様に隠せるものは無いのです。神様の前に胸を張って生きていきたいと、方向転換をしました(これが悔い改めです)。奪う人生から、与える喜びの人生に変わったのです。

 イエス様は罪を赦す権威を持っておられます。単なる言葉だけではなく、私たちの罪の罰を十字架の上で引き受けてくださったのです。ですから、赦すことが出来る方なのです。

3 今日は救いの日

 ザアカイの家に救いがやってきました。空しい日々が、イエス様の愛が入ってきて、与える愛、親切な心が与えられて、変えられました。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント5:17)。孤独だったザアカイに、何でも話せる友ができたのです。ですから、一人ぼっちになっても寂しくないのです。取るに足りない者とともにいてくださるイエス様がおられるからです。心が散らかっていても汚れていても、イエス様をお迎えして、いっしょに歩んで下さいとお祈りすれば、イエス様は赦して救ってくださいます。この方といっしょに歩んでいきましょう。

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