礼拝メモ 10月10日

聖書 マタイの福音書11章20節-30節

 先週に続いて、イエス様の招きのことばを聞きましょう。

 「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

 四日市の教会の集会案内の看板に、この言葉が記されていました。特別集会がおわった次の聖日、赤ちゃんを連れた若い夫婦が来会しました。

 奥さんは小さいとき、教会に行っていたのです。そして、その奥さんのお母さんは熱心なクリスチャンでした。夫婦で家を訪ねると、よく聖書のお話しをしてくれました。イエス様の恵みを伝えてくれたのです。

 四日市での仕事は忙しすぎ、夫婦の絆が切れそうになりました。すると、ご主人は、教会へ行こう、と言い出したのです。それで、ある日曜日、親子三人で近くの教会へ行きました。ところが、その教会は閉まっていたそうです。それで、インマヌエル四日市教会に来たのでした。その看板を見たご主人は、慰めを感じました。

 私たちが訪問して、イエス様の福音を伝えると、夫婦二人ともイエス様を信じるお祈りをしたのです。その後、仕事のために、ご主人の里である富山に引っ越していきました。そして、その年のクリスマスに洗礼を受けました。

 「わたしのもとに来なさい」と言われるイエス様は、「すべてのことが、わたしの父からわたしに渡されています」という方です。天地を創造した全能の父なる神様が、イエス様にすべてを渡してしまわれたというのです。文語では、「すべてものはわが父より委ねられたり」となっています。

 アフリカのリビアからアメリカに密航した青年がいました。仕事につけず、盗みを働いて捕まり、牢屋に入れられました。ある日、お医者さんが聖書の話をしに来ると聞いて、彼も参加しました。その時、彼は「すべてのものが、わたしの父からわたしに渡されています」という言葉が開かれ、すべての中に、あなたがたが捜してきた幸いも入っていると、語られ、十字架のイエス様の愛が語られました。彼は部屋に帰るとお祈りしました。すると、心が軽くなりました。自分の国に送り返されて、彼はイエス様の恵みを伝えました。ワイヤーという人です。

 イエス様には、すべてが委ねられていました。「父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子に委ねられました」とあります(ヨハネ5:22)。私たちが御国に行くかどうかを決められる方でもあります。

 この方が「わたしのもとに来なさい」と招いているのです。そうすれば、平安と安息が心にやって来るのです。

 あるとき、富山で80歳近い男性を訪問しました。戦後、組合の仕事をしていたと聞きました。罪を言い表すなら、イエス様は赦してくださると話していると、彼は、そんなことはできない、そんなことをしたら、罰を受けるだけだ、と言うのです。イエス様はその罪を身代わりに引き受けて死んでくださり、今よみがえって生きておられ、ご自分のところに来ることを待っていることを話しました。すると、彼は祈ったのです。そして、心が軽くなり、喜びを感じました。それを「甘露のようだ」となんども語っていました。

 あなたも、イエス様のもとに来て、赦しと平安と安息をいたできませんか。そして、イエス様の愛に包まれて生涯を進みましょう。