礼拝メモ 3月14日
聖書 出エジプト記12章1節-14節
今年のイースター(復活祭)は、4月4日です。イエス様が十字架につけられて死なれ、三日目によみがえられたことを祝います。その日の前に、受難週があります。そして、イエス様が十字架につけられたのが、過越の祭りの前日であったことは、意味を持つ出来事でした。というのは、過越の祭りが制定された時のことを考えると、いろいろと意味が重なってくるからです。
過越の祭りが制定されたのは、ユダヤ人がまだエジプトにいた時でした。出エジプトの出来事の後で、シナイ山で律法を受けたのですが、その前に定められた過越の祭りを守ることは、ユダヤ人にとって大事なことでした。それは、エジプトでの奴隷状態からの解放、自分たちの国を持てる幸いを実感することのできる祭りだからです。
紀元前1500年ごろ、エジプトで奴隷として働かされていたユダヤ人は、ひどい仕打ちを受けていました。そのために、神様はモーセを遣わして、エジプトのファラオに何度も解放を求めたことが記されています。ファラオが聞く耳を持たなかったため、何度も災いがエジプトを襲いました。ナイル川の水を血に変えるところから始まって、蛙、ブヨ、アブ、家畜の病気、腫れ物、雹、いなご、闇、そして、初子(ういご)の死です。この最後の災いのために、ファラオは解放を許したのです。
初子のいのちを取る使いが、エジプトを襲いました。聖書には次のように書かれています。「その夜、ファラオは彼の全家臣、またエジプト人すべてとともに起き上がった。そして、エジプトには激しく泣き叫ぶ声が起こった、それは死者のいない家がなかったからである。」(12:30)
初子の死を免れる道は、子羊の血を門柱に、そして鴨居に塗ることでした。その血を見て、御使いはその家の初子を殺さずに過ぎ越したのです。このことはイエス様とどんな関係があるのでしょうか。
イエス様が伝道を開始するとき、バプテスマのヨハネのもとで洗礼を受けました。そのとき、ヨハネは、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」と言って、イエス様を紹介しました。パウロは、「私たちの過越の子羊キリストはすでに屠られた」と言っています(Ⅰコリント5:7)。イエス様は十字架につけられ、両手から血が流れ、頭には茨の冠がかぶせられて血が流れていました。門柱と鴨居の血のように。このイエス様を信じる者は、さばきから免れることができるのです。
イエス様の死刑は、バプテスマのヨハネのように首を切られるのではなく、十字架刑だったのは、一つにはこのような意味があったのです。
イスラエルの人たちは、子羊の肉を焼いて、パン種を入れないパンと苦菜とともに食べることで、この日の過越を祝ってきました。千年以上も続いた祭りです。その中に、このような意味が含まれていたことを、ユダヤ人は理解できなかったのです。使徒パウロは、「私たちの過越の子羊キリスト」と言いました。過越のときに屠られた子羊のように、十字架で死なれたイエス様が、私たちの身代わりの死であり、さばきであったことを、パウロは理解したのです。
私たちはこのような十字架の意味を知ることができ、感謝です。そして、苦しい十字架の死刑を忍び、三日目によみがえり、今、天にあってとりなしをしていてくださるイエス様、ありがとうございます。