礼拝メモ 1月31日

聖書 ヨハネの黙示録5章1節-10節

 先週お話ししたように、教会総会に備えて、今朝も教会について考えます。聖書はヨハネの黙示録5章です。

 福音の汽車という子どの讃美歌があります。「福音の汽車に乗ってる、天国行きに。罪の駅から出て、もう戻らない。切符はいらない。主の救いがある。それで、ただ行く。福音の汽車に乗ってる、天国行きに。」この讃美歌はすばらしいものです。

 しかし、ふと考えたのです。天国へ行き希望は、ただ現在の苦しみから逃れるためなのでしょうか。天国へ行ってから、何をするのでしょうか。これは大事なことです。聖書はどのように教えいてるのでしょうか。黙示録にはどのように書かれているのでしょう。調べてみたいのです。

 黙示録の4章と5章は、天においてなされていた礼拝が書かれています。司会者には5章を読んでもらいましたが、4章から見てみましょう。

 この黙示録は、使徒ヨハネがパトモスという島に島流しになって経験したことが記されています。おもに幻の記述です。幻ですから現実離れしている面があります。しかし、そういう中で何を伝えたいのかを捕らえれば、黙示録は大事な真理を語っていることが分かります。

 4章では、御座とその周りに二十四人の長老がいると書いてあります。この長老とは、ユダヤ人12人と、クリスチャン12人という信仰者の代表として描かれています。次に四つの生き物がいたと書かれています。この不思議な生き物は、イザヤの見たセラフィム(イザヤ6:2)に似ている御使いのようです。神の御前で賛美しているのです。その賛美に応じて長老たちは礼拝をし、主の創造のみわざをたたえます。長老たちの賛美は、天地を造られた神様の知恵と力に心を奪われての賛美であり、礼拝です。

 5章では、巻物が見えるのです。これには、この世界に対する神の御心、御計画が記されていることを、ヨハネが知り、開かれることを期待します。しかし、それには封印がしてあって、だれもそれを解くことができません。ヨハネは、パトモス島にいる自分の事だけでなく、迫害を受けているクリスチャンのことを思い、封印が解けないことを悲しみます。しかし、長老の一人が「ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利したので」その封印を解くことができると教えてくれます。その獅子を見ようとすると、そこには「屠られた姿で子羊が立って」いるのが見えます。

 四つの生き物と二十四人の長老は、賛美と祈りをもって新しい歌を歌います。その賛美には、主イエスが「屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血によって人々を神のために贖い」と歌われています。

 さらに多くの御使いたちが大声で歌う賛美が続きます。「屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を/受けるにふさわしい方です。」その後、ヨハネが聞いたのは、「天と地の地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのもの」の歌う賛美であり、礼拝でした。「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が/世々限りなくあるように。」

 天においては、御父と御子のために賛美と礼拝が絶えずささげられているのです。今私たちはこの地上で礼拝を守っているのは、天に移されてからの予行演習のようなものです。天地の創造と十字架の贖いが礼拝の基礎です。この二点をしっかりと理解し、信じて、心からの賛美と礼拝ができる者たちの群れが教会なのです。

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