礼拝メモ 12月20日
聖書 マタイの福音書2章1節-15節
救い主イエス様は、「ヘロデ王」の時代に生まれました。この王様については、良い面と悪い面があります。良い面とは、彼の事業手腕です。「ヘロデの三十三年間にわたる統治によって、パレスチナは整備が進み、美しく生まれ変わった。宮殿、要塞、神殿、水路、都市が各地に建築され、なかでも、新しくエルサレムに建てた大神殿は彼の業績を飾るものであった。カエサレアの立派な港を造ったのも彼であり、これにより通商貿易が盛んになった。」(マイヤー)
しかし、彼にはユダヤ人の血は半分しか流れていないため、ユダヤ人は彼を受け入れがたかったのです。それに、五十歳を過ぎると、自分が暗殺されることを恐れ、息子や妻を殺してしまいます。さらに、自分が死んだらだれも悲しまないのではないかと気になり、ユダヤ人の指導者を巻き添えに殺す計画まで立てました。
そんな折に尋ねてきた博士たちの言葉は、彼の心を激しく動揺させました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」を捜しに来たのですから。ヘロデはユダヤ人の調べた「ベツレヘム」を教えながら、「私も行って拝むから」と心にもない言葉で博士たちを送り出します。
救い主のもとに行くために、博士たちはみことばの指し示す村に向かいました。そして、あの星がまた現れたのです(この星については、惑星合とか彗星だと言われていますが、確かなことは分かりません。博士たちの探求に応える神様の特別の計らいだったのでしょう)。
博士たちは贈り物をして、幼子を拝みます。そして、夢のお告げで、来た時とは違う道で帰ります。彼らは来た時とは違う心で帰って行きました。不安と期待のないまぜになった心できたのですが、安心と喜びをもって帰って行きました。
ヘロデ王は、博士たちの帰りが遅いので騙されたと思い、ベツレヘムの幼子を殺害します。母親たちの泣き声が聞こえるようです。しかし、マタイはエレミヤの言葉を引用し、この後には救いがやって来ると告げたかったのです。ヘロデ王が死んだのは、紀元前4年の春だそうです。ですから、イエス様の誕生は、それより二、三年、前だったと考えられます。イエス様はヨセフとマリアとともにエジプトに逃れたのでした。
さて、このような王様の時代に救い主が誕生しました。暴虐非道な王様から、御子を守られたのは、父なる神様でした。それだけでなく、エジプトに行ったとき、避難民として困らないように、博士たちの贈り物を与えたのです。そして、星で導かれたり、夢で導かれたのです。これほど、救い主を大事にしておられる神様です。今、私たちは新型コロナウイルスのために緊張しながら生活しています。ですが、父なる神様は御子を守ったように、神様に信頼する者を守ることができる方です。心配が湧いてきたら、父なる神様に祈りましょう。必要な助けを与えてくださいます。
そして、あの星のことです。私たちにとっては、何に当たるのでしょうか。私はみ言葉だと思います。星は夜、輝きます。私たちの心が暗いとき、み言葉は私たちを導く星になります。ですから、聖書に親しみましょう。そこに逃れ場が用意されているはずです。救い主は、今日もみ言葉とともに私たちを守ってくださいます。