礼拝メモ 10月18日

聖書 マルコの福音書5章25節-34節

特別集会 講師・田中敬康先生

 聖書は心の目を開いて、心の耳を開いて聞くとき、神様の恵みが豊かに届きます。私は70年の信仰生涯で、今が最高です。高知教会の開拓の時も、三ヶ月で何㎏も痩せましたが、楽しくて夢中でした。課題の中、神様の恵みで乗り越える幸いな経験を、早く体験してほしいです。

 私は高三の時に神様に降参しました。みこころに従ってゆくのは、最高です。

 人生は悩みに満ちています。波に溺れるのでなく、人に当たるのでもなく、神様の恵みによって乗り越えていけるのです。

 人は、この人は信頼できる、この人は裏切らないと分かると、心を開いてくれるのです。町内会長のご夫婦が、震災のあと、イエス様に頼るようになりました。

 私は小さいとき、お寺の教会学校に行っていました。お話しは良いのですが、自分は地獄行きだと思っていました。自分の内側はちっとも良くならないのです。そして、高一の時、カラー映画の上映があり、英語を聞けるということで、国技館に行きました。そこでのお話しで、自分はきたない人間であることと、イエス・キリストが身代わりとなって死んでくださったことを知りました。その時、私はイエス様を信じようと、心を決めました。そして、70年、イエス様は裏切らない方、生きておられる方であることが、体験的に分かりました。

 イエス様に出会うならば、どん底でも大丈夫なのです。この女の人(25節)は、肉体的にも(長血で、痛みを伴う。それも12年です)、経済的にも(持っている物を使い果たした)、社会的にも(不浄の病気でした)、精神的にもどん底だったのです。

 しかし、「イエスのことを聞き」ました。すぐに行動に移しました。今しかないと思ったのです。群衆に紛れて、イエス様の衣に触りました。すると癒やされたのです。信仰をもって触ることで、喜びと確信を経験したのです。

 信仰は弱くても良いのです。イエス様に頼れば、イエス様が何とかしてくださると、全部が分からなくても信頼したのです。イエス様は「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われ、イエス様に信頼することは、すばらしいことなのです。「安心して行きなさい」とは、なんという慰めに満ちたことばでしょうか。平安と自由と確信をいただきました。「健やかでいなさい」とは、再発を恐れることはないという保証です。イエス様は心配しなくてもよいと言っておられるのです。

 生ける信仰とは、イエス様のことを聞き知ること、自分の汚れを認めて、イエス様に信頼することです。その時、イエス様は優しく声をかけてくださいます。そのお言葉に信頼して生きましょう。

 良心の呵責は私たちから自由を奪います。人には話せない罪を、イエス様に告白して、「あなたに信頼するしかないのです」と申し上げましょう。イエス様は「あなたの罪は赦された」と語ってくださいます。

 私たちがイエス様に信頼すると、罪はいよいよ分かってきます。それは私たちが謙虚になり、柔和になり、親切になるきっかけです。そして、イエス様とともに生活することは楽しいのです。イエス様にお会いして、「直してください」とお願いしましょう。そして、私たちのお願い以上のことをして下さるイエス様を経験し、感謝と喜びをもって暮らしましょう。

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