礼拝メモ 5月24日
聖書 使徒の働き1章3節〜14節
イエス様は、復活後、何度か弟子たちに現れました。それは、ご自身が生きていることを弟子たちに納得させるためでした。そして、生きている方は次に何をしようとしているのかを告げたのです。それは神の国の建設ですが、そのために聖霊を送るということです。
ところが、弟子たちはまだ、地上の王国のことを考え、「イスラエルの国を再興するのは何時ですか」と問いかけています。それで、イエス様は、それは父のみこころに任せて、あなたがたは世界中に福音を宣べ伝えてほしいと語りたかったのです。それが、有名な8節の言葉となっています。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
この言葉を残して、イエス様は天に上げられました。中心となる先生がいない弟子たちは、言われたように、祈りのために場所を確保したのです。
この祈り会には、使徒たちの他にイエス様の「母マリア、およびイエスの兄弟たち」が加わっています(14節)。新約聖書の後ろの方にある、「ヤコブの手紙」と「ユダの手紙」を書いた人たちです。
この祈り会は10日間、行われました。その間、弟子たちは、自分の力で主イエスの証人となる力がないことを自覚して、主に祈ったのでした。それは、悔い改めの祈り、赦し合いの祈り会だったでしょう。
祈り会の席上で、ペテロが立ち上がり、使徒の欠員補充を提案します。それはイスカリオテのユダが死んだからです。使徒としての資格は、「ヨハネのバプテスマから始まって、(イエス様が)私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした人」です。その人が「イエスの復活の証人と」なるのです。これらの言葉で、イエス様の求めておられた神の国の建設が意識されていたことが分かります。
そして、マッティアがくじで選ばれました。人間の理解では結論がでない問題を、くじで決めるのは、珍しいことではありません。富山のある教会が移転を迫られたとき、町中にとどまるか郊外に移転するかをくじで決めたことがあります。
さて、この章で教えられることは、
1.神の国の建設は、イエス様の証しから始まる、ということです。教会は、イエス様の愛の証しをしていかなければなりません。
2.私たちに問われているのは、イエス様の証人として立ち上がる力があるか、ということです。それは、聖霊によって与えられるのですから、祈り求めていけば良いのです。それは、私たちの祈りの生活が深くなっていくきっかけとなります。
3.聖書がペテロの口に上ったことが記されています(20節)。聖霊は、私たちの心を照らし、聖書を理解する力を与えてくれます。そして、聖書を信仰生活の土台にするために、聖書を読み続ける恵みが与えられるのです。
聖霊のバプテスマは、聖霊に浸けられる恵みです。それは死を意味しています。「自分を捨て」ることです。そして、よみがえられたイエス様のいのちにあずかり、御心を生きて行くのです。そこに神の国が始まるのです。アーメン。