礼拝メモ 4月21日 『復活の驚き』

聖書 ルカの福音書24章13節〜28節

 ここには、二人の人がエマオという村に旅をしている姿が描かれています。彼らはイエス様の弟子たちです。エルサレムでイエス様が十字架につけられた悲しい出来事について話しています。

 するとそこに、イエス様が現れて、同じ道を歩いて行きます。二人は熱心に話していたために、そのイエス様に気づきません。(目をさえぎられていたのです。仕事仕事から退職して解放され、自然界の季節の移り変わりの美しさが急に見えてくる人もあります)。

 イエス様はそんな二人に近づき、話しかけます。二人のうちの一人はクレオパという人でした。でも「二人は答えた」とあるように、二人とも少し興奮していたのでしょう。預言者と考えていたイエス様が、国を指導する人たちによって十字架につけられてしまったことを、そして、三日目にそのお体がなくなったことを話しました。彼らは希望をくじかれていたのです。

 イエス様は、二人に聖書の約束を示し、救い主は、苦しみの後で栄光を受けることを思い出させます。確かにアリマタヤのヨセフの墓に納められたイエス様のからだについては,確信がありました。でも、今、目の前にイエス様がおられるのに、彼らの戸惑いは消えません。イエス様の口から、聖書の講義が始まります。彼らの心に明るい光が届き始めます。

 そして、ついに二人の弟子は、目の前の人がよみがえられたイエス様であることに気づきます。彼らはエルサレムにとって返し、弟子たちに報告します。すると、ペテロにもイエス様は現れたと、盛り上がっています。そこに、もう一度イエス様が現れ、ご自身が生きておられること、そして、それは聖書に預言されていたことを示します。弟子たちの喜ぶ姿が思い浮かぶ光景です。

 さて、今日は洗礼式を行います。イエス様が洗礼を受けた時のことを見てみましょう。

 「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」と天からの声が聞こえました。その愛されていた御子イエス様が十字架の上で、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。愛された御子が捨てられるはずがありません。これには意味があるのです。神を無視して生きてきた私たちこそ、捨てられて当然なのです。それを、イエス様は身代わりになって引き受けて下さったのです。

 でもイエス様は悪いことをして捨てられたのではなかったので、復活されました。それでお墓におからだはなかったのです。洗礼を受ける人に、「わたしはこれを喜ぶ」と声をかけて下さるのです。罪を赦され、新しいいのちをいただき、神に喜ばれる人となったのです。感謝して、喜んで信じていきましょう。

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