礼拝メモ 5月12日 『いのちの御霊により』
聖書 ローマ人への手紙8章1節〜17節
この章は、聖霊の章として知られています。罪の下から解放され、キリストのものとなって生きる人のために、神さまは聖霊を送って素晴らしい信仰生活を与えてくださいます。少しずつ学んでいきましょう。
1節には、イエスを救い主と信じて頼る者は、決して罪に定められることがないと明言されています。罪の咎め、罪の力、罪の性質からの解放が含まれています。なんと大きな恵みでしょうか。
4節には、「肉に従わず、御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされる」とあります。これは、エレミヤ(31:33-34)やエゼキエル(36:25-27)が預言した新しい契約の実現を語る恵みです。
6節には、「御霊の思いはいのちと平安」であるとあります。「死」ではなくいのちに移されている恵みを味わえるのです。
7節には、聖霊によって「死ぬべきからだも生かして」くださるとあります。この肉体は死を免れることはできませんが、御霊が生かしていてくださるのです。なんと大きな恵みでしょう。
どのようにして生かされるのかを語っています。「もし御霊によってからだの行いを殺すなら、あなたがたは生きます」と。からだの「行い」とは、欲望のもたらす悪事です。御霊に導かれて欲望のもたらす悪事をストップさせることができるのです。「神のこども」の特権です(14節)。聖霊に相談し、頼りにし、導いていただきましょう。
たとえば、暴飲暴食に走りたくなる時、聖霊に助けを求め、その欲望を弱め、ストップさせていただくことができるのです。私たちは、毎日、時々刻々と、聖霊の助けをいただいて、生かされているのです。そんな恵みの中にいられる自分が不思議に思えます。
16節には、御霊の証しが記されています。「御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。」人が言うのではなく、自分で勝手に決めるのでもなく、神である御霊が私たちの救いを証ししてくださるとは、何という驚きでしょう。
この証しは、人によって違った経験になるかもしれません。イエス様を心に迎えて信仰に立った時、なんとも言えない平安に包まれることもあるでしょう。また、「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ」(マタイ3:17)と心に語られることもあるでしょう。自分が受け入れられていることを感じる人もあるでしょう。赦された幸いを心で喜ぶ人もあるでしょう。しっかりと信頼している心に、御霊ご自身が語ってくださることは、忘れられない経験となるでしょう。御名をほめたたえましょう。そして、いよいよ信頼し、お頼りし、語りかけに敏感に答えていきましょう。