聖日礼拝メモ 3月2日
聖書 エペソ人への手紙2章1節―10節
私たちは、自分の信じる神に影響されます。2月は、その意味で、私たちの信じる聖書の神様がどんなにすばらしいかを考えてきました。すべてを知り、どこにでもおられ、ご自分の思うことを何でもなさることができる方、そして、祈りを聴き、愛を語る方、忍耐をもって私たちを導き、育ててくださる方です。この方の恵みについて、少しだけ聖書から学んでみましょう。
エペソ人への手紙2章は、神の救いが描かれています。救いを受ける人間の姿が描写されています。いわく、「死んでいた者」、「流れに従う」者(つまり、流される者)、悪の「霊」に従ってしまう者、「欲」のままに生きる者です。奴隷状態を表す言葉が並んでいます。
聖書には、何種類かの奴隷状態が記録されています。
イエス様のことばで、「罪を行っている者はみな、罪の奴隷です」があります(ヨハネ8:24)。
ヘブル人への手紙には、「死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれている人々」とあります(2:15)。死の宣告を受けたとき、人は縮こまってしまうか、『死にたくない』と叫ぶか、の態度を取ります。しかし、主イエスはその恐怖から解放してくださるので、平安のうちに死に臨めます。なにも「四(死)」を恐れることはないのです。
人間が「いろいろな欲望と快楽の奴隷」になることがあります。いろいろな「中毒症」がありますが、その背後にあるのは、この欲望や快楽の奴隷状態でしょう。さらにもう一つ、聖書は奴隷状態について語っています。ガラテヤ人への手紙4章8節には、「神でない神々の奴隷」とあります。天地を創造した全能の神以外を拝むことを、偶像崇拝として示しています。人間の奴隷になってはいけません、という箇所もあります(Ⅰコリント7:23)。身の回りの人だけでなく、過去の人のことも含まれます。
これらの奴隷状態から解放されて自由になって、天地の創造主を礼拝する者になれるのです。それも神の恵みです。
さて、もう一つの聖句を開いてみましょう。「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それはあなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです」(Ⅱコリント8:9)。この言葉は、イエス様の受肉、人となられたことを語っています。人となる前の栄光や輝き、喜びなどを天の置いてきたのです。人の世話にならなければならない「赤ん坊」になったのです。それは、私たちが世界の相続人に、イエス様との共同相続人になるためです。その貧しさは、十字架の死にまで降りて来られたことです。また主は、天に住まいを用意してくださっています。天に住む資格のない者を引き上げてくださるのです。
最後に、ペテロの言葉を開きましょう。ペテロの第二の手紙の冒頭で、イエス様の「神としての御力」のすばらしさに触れています。それは、私たちが「神の性質にあずかる」ことにまで語っています。それは、「信仰には徳を」で始まる八つの徳目の増加、成長についてです。そのとき、「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵み」が「豊かに与えられる」のです。そのみ国には、「偉大で、驚くべきもの」があります。地上の生活の中でこのことは忘れてはならないことです。永遠の御国に招かれている幸いを、感謝します。