聖日礼拝メモ 2月2日
聖書 詩篇139篇1節―24節
先週は、大いなる神様の知恵と力を語るイザヤのことばを開きました。今朝は、詩篇139篇を開きます。全体は四部に別れています。それぞれに語りかけがあります。全体をしめる「あなた」という呼びかけが印象的です。これは作者が神様と親しい関係にあったことを語っています。私たちは、どうでしょうか。
第一の段落では、「主よ、あなたは私を探り、知っておられます」と語りかけ、神様がすべてをご存じであることを語り出します。2節では、座ったり立ったりする動作を、そして、その背後の思いを知っておられる方です。
3節では、歩くと休むとが語られています。昼間と夜の様子を記しているようです。
4節では、ことばの背後の思いを、神様は知っておられることが語られています。まるで神様に囲まれていると感じています(5節)。このような知識を、作者は不思議と感じています(6節)。
7節からは、この神様から逃げることができるかを考えます。
8節では、天とよみ——高い所と低い所、9節では海の果て、11節では暗闇を考えます。でも、どこに行っても、そこに神様はおられます。神様は霊ですから、場所に制限されることはないのです。
パウロは、アテネのアレオパゴスで弁明したとき、「私たちは神の中に生き、動き、存在している」と当時の詩人の言葉を引用しています。それは、「神は私たち一人ひとりから遠く離れてはいない」ことを示すためでしたが、聴衆を納得させることばだったでしょう。
13節では、過去にもどり、胎児の姿を思い起こしています。そして、そこでも、神の御手が働いていたことを認めています。「造り」、「組み立てられ」、「造られ」、「織り上げられ」、「見られ」ていた胎児のことを、幸いと思っているのでしょう。「あなたは私に奇しいことをなさって、恐ろしいほどです」と述懐しています。
最近は、胎児が成長していく姿を写真にして、何週間目はこう、それから次の週はこうと、見られるようになっています。でも、どうしてそのように成長するのかは、説明されていません。写真だけでは分からない事がいっぱいあります。胎児の成長は、遺伝子が働いているからです。その遺伝子を造られたのは、神様です。遺伝子に書き込まれた文章が、次々に実現して行くのは、不思議なことです。
17節、18節には、作者の感嘆した思いが言い表されています。「神よ あなたの御思いを知るのは なんと難しいことでしょう。そのすべては なんと多いことでしょう。数えようとしても それは砂よりも数多いのです。」使徒パウロの言葉、「ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう」が思い出されます(ローマ11:13)。
19節から悪者が登場します。これは、神を認めない人(「神を憎む者たち、神に立ち向かう者」)に対する思いを語ったものです。そして、反省をしています。「神よ 私を探り 私の心を知ってください」と。最後は、「私のうちに 傷ついた道があるかないかを見て 私をとこしえの道に導いてください」と祈っています。傷ついて道とは、迷いの道、不信仰の道です。とこしえの道とは、「いにしえからの道、幸いの道」のことです(エレミヤ6:16)。全知、全能、遍在の神に信頼して生きる道です。私たちの志がこの神にふさわしいなら、幸いです(ピリピ2:13)。