礼拝メモ 7月16日
聖書 使徒の働き18章1節−11節
この朝はコリントでのパウロの伝道を思い巡らします。
コリントという町は、「金と肉体と性を売り物にする大都会」と表現されています。商業が盛んで、イストミア競技が行われ、アフロディテ神殿が有名でした。
アテネからシラスとテモテが来るまで、パウロは自給の生活をします。それは天幕作りの仕事です。ここで、アキラとプリスキラの夫婦に会い、同じ仕事なので一緒に仕事をします。この夫婦は、どのようにして信仰を持ったのかは分かりませんが、パウロの生涯に大きな恵みをもたらしました(ローマ16:3-4を参照)。ラビは手に職を持つのが慣習でしたので、タルソ出身のパウロには天幕作りは若い時に身に着けた仕事でした。これで、お金にうるさいコリントの人々の前に、しっかりとした態度で伝道できたのです。しかし、シラスとテモテがピリピから援助を持って来たので、パウロは伝道に専念することができました。
パウロはまず、ユダヤ人が集まり、ユダヤ教に関心のあるギリシア人が集まる会堂で伝道を開始します。ところが、ユダヤ人がパウロを口汚くののしったのです。それでパウロは、会堂を出て、隣のティティオ・ユストの家で伝道します。
「会堂司クリスポは、家族全員とともに主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。」この7節の言葉は、パウロの伝道が用いられたことを示しています。しかし、主の幻が与えられます。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたに危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」
パウロは何を恐れていたのでしょうか。たぶん、多くのコリント人が信じたことを、ユダヤ人がねたんで、迫害をするのではないか、と思ったのでしょう。そして、それは現実になるのですが(12節以下をご覧ください)、パウロに危害を加える人はいませんでした。
パウロにとって、福音を伝えることは、主から受けた使命ですから、止めるわけにはいかないのですが、ユダヤ人の反抗にあうと、彼は悲しかったのです。同胞の救いが願いでもあるパウロにとって、彼らの反抗はつらいことでした。(旧約聖書にある、エレミヤの経験に似ています。神からの預言のことばを伝えれば伝えるほど反対にあい、憎まれ、迫害されたエレミヤは、ユダヤ人を愛するゆえに苦しんだのです。)
主はそのようなパウロを励ましました。「わたしがあなたとともいにる」とは、エレミヤも約束された言葉でした。主がともにいて、心に平安を与えてくださるのです。
この励ましの中で、主は「わたしの民」と言っています。これは、ふつうユダヤ人を指す言葉ですが、ここでは、福音によって救いを受けた人たち、つまりクリスチャンのことです。私たちも、「わたしの民」と言っていただけることを感謝しましょう。
主の民になるのは、コリントの人たちと同じように、「聞いて信じ、バプテスマを受ける」ことです。まず、福音を聞いてください。そして、恵みのことばを信じて、主にお頼りしてください。そして、主に救われた証しとして、バプテスマ、つまり洗礼を受けるのです。「わたしの民」、キリストの民、御国の国民になれるのです。