礼拝メモ 7月2日

聖書 ルカの福音書22章14節−23節

 7月に入りました。この年の後半の歩みに、主の恵みを祈りましょう。今朝は、聖餐式が行われます。聖餐式は、イエス様が定めた、数少ない式典です。プロテスタントでは、洗礼式と聖餐式だけが、イエス様が定めた礼典として守られています。今朝は、その聖餐式が定められた情況を理解し、聖餐式の大切さに目を向けることができればと思います。

 聖書は、ルカの福音書を読んでいただきました。この22章の冒頭には、イスカリオテのユダがイエス様を引き渡す手伝いを申し出たことが記されています。イエス様はそんな裏切りを知りながら、弟子たちとの交わりの時を守ろうとしたのです。そのために、ペテロとヨハネに、過越の食事の用意をさせました。

 14節から、食事が始まる場面です。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたと一緒にこの過越の食事をすることを、切に願っていました」と言われました。「苦しみ」とは、ユダヤ人とローマ人から受ける苦しみで、その最後が十字架刑です。

 さらに、イエス様の言葉は続きます。「あなたがたに言います。過越が神の国において成就するまで、わたしが過越の食事をすることは、決してありません。」イエス様の心には、「神の国」の過越の食事が意識されていました。それは、イエス様の再臨の日に起こることです。この時の過越の食事は特別の時だったのです。

 過越の祭りは、エジプトで苦しめられていたユダヤ人が、エジプトを脱出した記念の祭りです。その日、神の使いが、エジプトの初子を打ったのです。子羊の血を門の柱と鴨居に塗った家では、初子は打たれませんでした。過ぎ越されたのです。今、御子イエス様が、過越の子羊として死に、新しい救いが成就しようとしていました。ですから、この過越の食事は大切なものでした。

 イエス様の言葉が続きます。「これを取り、互いの間で分けて飲みなさい。あなたがたに言います。今から神の国が来る時まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは決してありません。」ここでも、神の国の来臨、主の再臨が意識されています。

 19節と20節は、聖餐式の制定を告げることばです。ただし、マタイなどとは少し違う表現になっています。それは、「あなたがたのために」と言われていることです。パンも杯も、「あなたがたのため」であると言われています。それは、十字架の死によって与えられる新しい契約、福音が語られています。それを、自分のためと受け止めることが、聖餐式の重要性を示しています。

 さらに、イエス様は、裏切る人について語っています。名前を上げていないのは、本人に自覚して、反省し、裏切らないことを勧めているのです。ユダは気がついていたでしょう。他の弟子たちは、それはだれなのかと、論じていました。それを聞くイエス様の心は、どんなに悲しんでいたことでしょう。

 過越の祭りは、ユダヤ人の存在の原点でした。それに匹敵する重要な「新しい契約」のために、イエス様は十字架に向かいます。この時でなければ、聖餐式の教えはできなかった事でしょう。何と大切なことでしょう。神の国は必ず来るのです。その日まで、聖餐式を守り、主の十字架とお苦しみを覚えて、感謝と献身を新しくするのです。

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