礼拝メモ 6月19日

聖書 ルカの福音書7章36節-50節

 この箇所は、イエス様に香油を塗った女の人の話しです。同じような話しが、他の福音書にもありますが、これは別の出来事です。

 発端は、パリサイ人のシモンがイエスを食事に招いたことでした。当時の食卓は、外からの人も入れる中庭で取られたことがあります。この時も、食事の席に思わぬ人が入ってきたのです。

 それは、「罪深い女」と言われていた女性です。この人が石膏の壺に入った香油をイエス様の足に塗ったのです。女の人は、このシモンの家の食卓に近づき、イエス様の後ろの足のところまで来たとき、思わず涙を流してしまいました。それは、悲しみの涙ではなかったようです。かえって、感謝の涙だったのです。涙をぬぐい、香油を塗り、口づけをしたのです。

 それを見たシモンは、イエス様がこの女のことが分かっていない、だから預言者ではないと思います。しかし、イエス様は、シモンに一つの質問をします。

 それは、金貸しの話しでした。500デナリと50デナリを借りた人が、どちらも返せなくなったとき、金貸しは二人の借金を帳消しにしたやったのです。「二人のうちのどちらが、金貸しをより多く愛するようになるでしょうか」とイエス様の質問でした。シモンの答えは、「より多く帳消しにしてもらったほうだと思います」でした。

 それを聞いたイエス様は、シモンに言います。この女のしたこと(足をぬぐってくれたこと、香油を塗ってくれたこと、口づけをしたこと)とシモンのしてくれなかったことを比べて、「ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです」と話しました。

 イエス様は、女の人に「あなたの罪は赦されています」と言い、さらに「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」と語りかけました。

 イエス様はシモンに、「この人を見ましたか」と尋ねています(44節)。当然見ているのですが、イエス様は、この女の人の行為の生まれた動機を見ているか、と問うています。「人はうわべを見るが、主は心を見る」と言われた言葉を思い起こします。シモンはうわべを見て、この女は罪深い女だと、考えました。しかし、イエス様は、この女の人の心の中を見ていました。それは、重荷を取り除かれた感謝であり、取り除いてくださったイエス様への愛です。イエス様は罪人の友となってくださる方です。

 この女の人が「罪を赦されています」と言われた背後に、主イエス様が身代わりに罰を受けてくださったことがあります。十字架で払われた罪の代価は、罪のない神の御子イエス様のいのちです。もちろん,この時はまだ十字架につけられていません。イエス様が与える赦しは、十字架を土台にしているのです。ですから、この時は、十字架の恵みを先取りして、赦してくださったのです。このことは、旧約時代から続く恵みのわざです。尊い主のお計らいです。(感謝なことに、私たちは、すでになされた十字架の身代わりを土台にして赦されるのです。)

 イエス様は、シモンが考えた「預言者」以上の方、救い主なのです。そして、罪を赦し、神の子としてくださり、神様との交わりに加えてくださるのです。つまり、罪人のわたしが、主のみこころを知って、主のご計画の中に入れていただき、用いていただけるとは、何とすばらしいことでしょう。

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