礼拝メモ 6月5日

聖書 使徒の働き2章1節-14節

 今日はペンテコステの日です。「五旬節」(2:1)と呼ばれる、この日は、イースターから50日にあたる日です。イースターが毎年、日が変わるのは、紀元325年にニカイア会議で決まったからです。そして、それに連動してペンテコステも変わるのです。移動祝日と言われます。

 さて、ペンテコステは、イエス様が約束した「聖霊」が注がれた日です。この日に何が起こったのかを、この2章が書いています。まず、しるしが現れ、弟子たちが聖霊に満たされました。その結果、ペテロが説教をして、3000人の人がクリスチャンになったのです(2:41)。

 この経験はペテロ自身にとっても驚くべき出来事だったことでしょう。大勢の人がバプテスマを受けたことも、感動的なことだったでしょう。それ以上に、あの十字架の日に三度も主イエスを否定した自分が、救い主を仰ぐように語るとは、何という聖霊の恵みなのでしょうか。

 聖霊は、弟子たちの内に何をなしたのでしょうか。それを知るために、10章と11章にある、コルネリウス訪問の記事とその後のペテロの弁明を読むことが必要です。そこには、ローマ人の家に招かれて福音を語ったペテロの姿があります。その招きの直前にペテロは幻を見ています。「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない」という言葉も聞いています。異邦人伝道が行われ、そこに聖霊が注がれたのです。

 異邦人との交際を禁じるユダヤ人のしきたりを破ったと非難されたペテロは、事の次第を説明しました。その中で、こう言っています。「私は主が『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によるバプテスマを授けられる』と言われたことばを思い起こしました」と(11:16)。ペテロは、ベンテコステの聖霊の注ぎとコルネリウスのところの聖霊の注ぎを聖霊によるバプテスマと理解したのです。「同じ賜物」が注がれたと言っています(11:17)。

 さらに、15章を見てみましょう。そこでは、パリサイ派のクリスチャンが、割礼を受け、モーセの律法を守らなければならないと主張したのです(15:5)。議論のなされた後、ペテロがコルネリウスとの交流について証しをします。その中でペテロは、大切なことを言っています。

 「兄弟たち。ご存じのとおり、神は以前にあなたがたの中から私をお選びになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされました。そして、人の心をご存じである神は、私たちに与えられたのと同じように、異邦人にも聖霊を与えて、彼らのために証しをされました。私たちと彼らの間に何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。そうであるなら、なぜ今あなたがたは、私たちの先祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのですか。私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人たちも同じなのです。」(15:7−11)

 儀式や自分の行いによって神に喜ばれようとするのでなく、信仰によって主イエスの恵みを与えられる道がはっきりと示され、あのペンテコステの時に、きよくされた恵みを証ししました。

 今、聖霊の時代となっています。心を開いて(黙示3:21)、聖霊に心に入っていただき、その恵みを味わえることを感謝し、喜びましょう。

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