礼拝メモ 5月15日

聖書 ヨハネの福音書16章5節-16

 イースターを越えて、イエス様がステパノに現れ、サウロ(後のパウロ)に現れたことを見てきました。ペンテコステに向かいますが、イエス様が聖霊を送ってくださることを語った最後の晩餐のイエス様の教えから、聖霊について学んでいきましょう。

 ヨハネの福音書の14章から16章に、イエス様の聖霊についての教えが含まれています。その中から、今朝は16章の一部を取り上げます。

 イエス様は御父のもとに帰ることを話しています。そのために弟子たちは悲しい思いをしていると語られています。そこで、イエス様は弟子たちに、ご自分が帰ることは、弟子たちにとって「益」となると告げます。その理由は、助け主を遣わすからだと、説明しています。「去って行かなければ、あなたがたのところに助け主がおいでになりません。」

 「助け主」とは、聖霊のことです。最近の翻訳では「弁護者」と訳されています。英語聖書では、「慰め主」(英欽定訳)、「カウンセラー」(新国際訳)などの訳がなされています。助けをするために呼び出された者を意味しています。イエス様は、この方を「遣わす」と言っておられるのです。約束です。ですから、天に帰る前に、エルサレムで待っていなさいと言われたのです。その実現がペンテコステです。

 この助け主について、イエス様はいくつかの説明をしています。その一つが、8節にある「明らかにする」働きです。罪については、殺人や盗みなより、神が遣わされた救い主を信じないことが指摘されています。聖霊が罪を示されるときには、悔い改めに進むことができます。言い訳ができないからです。「これは私の罪です。責任は自分にあります」と心を素直にして認め、ただ一人の救い主イエス様に頼ることができます。そこへ行かないで、隠したり、嘘をついたり、ああだ、こうだと言い訳をし、他人のせいにするーーこれはまだ罪が分かっていない状態です。

 自分はせいいっぱいやって来た、と思う人も、罪のないイエス様の前に立つことを考えてみてください。イエス様の身代わりの死を無視して、イエス様の前に立つことを考えてください。聖霊はその状態を示して、悔い改めに導いてくださるのです。パウロも、自分のありったけの善行によって神に喜ばれることはできないが、主キリストを信じることによって神に喜ばれると、告白しています(ガラテヤ2:16を参照)。

 ヨハネの16章13節には、「その方、すなわち真理の御霊」と言われています。真理を示す御霊という意味です。真理と言えば、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」と言われたイエス様の言葉を思い出します(ヨハネ14:6)。御霊は真理であるイエス様を示します。イエス様のすばらしさが分かるのは御霊のお働きです。

 また、真理が分かると言えば、神の言葉である聖書が分かるようになることです。心の目を開いて、みことばを分からせてください、と祈りましょう。これは、私自身の実体験として、聖霊の助けを証しできます。皆さんも、ぜひ、聖霊のこの恵みを体験してください。

 もう一つ、真理について、こう言われていることを覚えて下さい。「私たちは真理に逆らっては何もすることができませんが、真理のためならできます」(Ⅱコリント13:8)。聖霊が真理を示してくださるとき、私たちは確信をもって力強く行動することができるのです。その結果、イエス様の御名が賛美されるのです。自分の力でやったと言えば、恵みは去って行きます。自分の楽しみを求めるのではなく、主イエスの喜ばれることを求めて、聖霊の助けをいただく恵みにあずかりましょう。

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