礼拝メモ 4月24日
聖書 使徒の働き16章1節-10節
今朝は使徒の働きから主の導きについて考えたいと思います。
使徒パウロの伝道旅行が続いていました。ここには、いくつもの地名が出て来ます。彼の伝道の予定が暗示されています。
デルベ、リステラ、イコニオン、アジア、フリュギア、ガラテヤ、ミシア、ピディニア、トロアス、そしてマケドニアです。地図をたどりますと、パウロの計画、あるいは予定では、アジア州のエペソに伝道に行きたかったと推測できます。しかし、その途中で、「聖霊によって禁じられ」たり、「イエスの御霊が許さない」ために予定を変更せざるを得ない状況に追い込まれました。彼はどんなに真剣にみこころを求めて祈ったことでしょうか。そして、ついにトロアスにまでたどり着きます。
トロアスで次のみこころを求めていたパウロに、夜の幻でマケドニア人の訴えを知り、「私たちは」みこころがマケドニア伝道のあると確信したのでした。この「私たち」という言葉が突然現れるのですが、使徒の働きを書いた著者がここトロアスでパウロたちに合流したと考えられます。
このような劇的な導きは、今の私たちには起こらないように思うかもしれませんが、導きの基本的なことをわきまえておくことは重要です。
導きはふつう、強い印象、あるいはうなずきによって示されます。ある牧師は、訪問の帰りに通りかかった角の大きな家に強い印象をいだき、一度は通り過ぎたのですが、さらに強くなる促しによって引き返し、その家の戸をたたきました。中から出て来た老人は、牧師が訪ねてきたことで泣き出して、その事情を話してくれました。彼ら老夫婦は、三週間の祈りの末に、その日に牧師が訪ねてくるようにと祈り、そうでなければ死んでしまうと思っていたそうです。
このような積極的な促しとは別に、否定的な印象が与えられることもあります。パウロたちの伝道旅行も「禁じられ」たり、「許されなかった」りしました。こういう時には、三つの可能性があります。まず、拒否です。パウロがエペソへ行こうとしたのを、主は禁じました。まさに拒否です。次に延期という事もあります。エペソでの伝道は、何年か先に行われました。ですから、この時の許されなかったのは、延期の意味があります。三つ目の意味は、変更、あるいは転換です。ここでは、アジア伝道ではなく、ヨーロッパ伝道への変更でした。
自分の導かれていることが正しい道筋かどうかは、何によって分かるでしょうか。まず、聖書です。聖書の本筋に従っているかどうかです。行き当たりばったりでなく、常日頃から聖書に親しんでいなければ、正しい導きをキャッチすることは難しいでしょう。また、聖書を偏って理解していると、正しい導きを見失うことがあります。
心の良心が認められることも、判断の成否を試験するのに有効です。
もう一つ、摂理的環境の整えが上げられます。パウロたちがマケドニアに向かうために港に降りていった時、ちょうど良い舟があって、ヨーロッパに向かうことができました。
これらの三つのテストを通過した時、最後に信仰の先輩に相談すると確かな導きを知ることができるでしょう。パウロが見た幻の話しを聞いた仲間たちは、みこころを確信できたと、書かれています。こうして、着実に主の御旨をたどって行けたのです。私たちも、従順に従う心で、導きを仰ぎ、独りよがりにならず、祈り深く進んで行きましょう。導かれる幸いを証しできる群れとなれますように。