礼拝メモ 3月13日

聖書 ヘブル人への手紙11章4節-6節

 今月は信仰について考えてみたいと思っています。そこで、ヘブル人への手紙11章に出てくる人たちを取り上げます。まず、アベルとエノク。

 アベルは、次男です。兄のカインは畑仕事をするようになり、アベルは羊飼いになりました。カインという名前は、神様から与えられた子どもという喜びを伝えるものでした。アベルは空しいという意味に通じる名前です。

 この二人が成人して、神様にささげ物をしようとしたとき、ことが起こりました。カインは「大地の実り」をささげ、アベルは子羊をささげました。「主はアベルとそのささげ物を目に留められた。しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった」のです(創世記4章4−5節)。カインは怒ってしまい、神様から声をかけられたのに、反発してしまいます。

 どうしてアベルのささげ物は「良いささげ物」として(ヘブル11章4節)受け入れられたのでしょうか。正確には分かりませんが、ヒントはあります。アベルは神様から両親に与えられた皮の衣のことを知って、贖いの血に気がついたのでしょう。ワイレーは言います。アベルのささげ物は、「神に近づくのは信仰をとおして、いけにえを通してであり、死を通してである」ことを示しています。「この真理は、キリストにあってのみ完全な現実となるのです。…キリストの流された血潮に確かに信頼することだけが、罪の赦しと神のいのちをいただくことを可能にするのです。」ここにアベルの信仰が証しされています。

 次はエノクです。ヘブル人への手紙では、「信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです」とあります(11章5節)。その出来事は、創世記の5章に記されています。

 「エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んでから、三百年、神とともに歩み、息子たち、娘たちを生んだ。エノクの全生涯は三百六十五年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」(創世記5章21−24節)

 エノクの生涯の特徴は、神とともに歩んだことでした。ギリシア語の旧約聖書では、神とともに歩むというところを、神に喜ばれていたと訳しています。ヘブル人への手紙11章では、「彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです」とあります。エノクの生涯は、神様にとって喜ばしいものだったのです。三百年も神とともに歩んだとは、なんとすばらしいことでしょうか。(ミカ書6章8節を参照)

 エノクの生きた時代は、アダムがまだ生きていただけでなく、先祖がいっぱい生きていた時代です。そして、すぐ後にノアの大洪水が起こる、乱れた時代でもあります。そういう中で神とともに生きることは、どんなに大変だったかと思うのですが、今さまざまな難題のなかを生きている私たちへの挑戦でもあります。彼の信仰は、天に引き上げられることによって証しされました。このことは、人生は肉体の死で終わりではないこと、もう一つの世界があることを示しています。

 エノクは六十五歳でメトシェラが生まれたとき、人生の転機を迎えたのでした。この時、神とともに歩み始めたのでした。子どもの誕生の与える反応の一つです。一人ひとりに神とともに歩み始めるチャンスというものがあるのです。それを逃してはなりません。あなたも神とともに歩んでいきましょう。

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