礼拝メモ 3月20日

聖書 創世記6章8節-22節

 ノアの生きて時代は大変な時代でした。「地は神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていた」とあるとおりです。愛の神さえ、この人類を生かしておくことは良くないと考え、再出発の準備をしたのです。それが、大洪水でした。

 そのような世界に一人だけ、神様の目にかなう人がいました。それがノアです。神様は、このノアに箱舟を作らせたのです。それは、とても大きな物でした。137mを超える長さがあり、高さは14m、幅は23mというものでした。三階建てのビルより高いのです。神様は三階に分けて作るように言われました。大変な事業ですが、ノアと子どもたち、それにもしかして力を貸してくれた人があったとして、一年や二年で出来上がるものではありませんでした。ところが、聖書は「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行なった」と記録しています(22節)。そして、同様の表現が、7章5節、9節、16節にも出てきます。

 ノアがこのような命令に従えたのは、世の中を見て、神様の御心が分かり、その計画に参加できることを喜んだからだと考えられます。ヘブル人への手紙11章7節には、こうあります。「信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造り」。まだ見ていない事柄が神様から伝えられたとき、ノアは信じたのです。当時は霧が植物を育てていました。しかし、ノアは大水や大洪水をイメージできたでしょうか。ノアの信仰が箱舟を作らせたのです。

 それも、何年も何年もかかる大仕事でした。百年かかる大事業でした。木を倒し、柱や板にし、組み立ててゆくのです。どんな道具を使っていたでしょうか。決してたやすいことではなかったはずです。来る日も来る日も、ノアは働き続けました。忍耐と体力の限りを尽くして働いたことでしょう。それが信仰によってであったことを忘れてはなりません。すばらしい信仰です。忍耐と一貫性と誠実の働きでした。

 当然ノアは、人々に神のことばを宣べ伝えました。ペテロはその手紙の中で、「義を宣べ伝えたノアたち」と言っています。

 暴虐に満ちた世の人たちは、ノアのこの仕事を見て、どのように思ったでしょう。たぶん物笑いの種にしたのではないでしょうか。彼らは、神の命令を知っても、信じませんでした。それは、見ていないものを告げられて信じなかったのです。百聞は一見にしかずと言いますが、確かに見ることの重要性は否定できません。しかし、それ以上に重要なことは、神の言葉です。信仰はこの神の言葉に立ちます。

 洪水が終わったとき、ノアは祭壇を築きました。神の前に立つために、犠牲が必要であると、ノアは感じていたのです。彼は、全焼のいけにえを献げて、感謝と献身を表しました。ここにも、ノアの信仰が表されています。

 ノアが根気強い信仰の人物であったことから、次のように言う人があります。「興味深いことは、ノアが従った期間は、今日の人々の寿命よりも長いことです。これと比べうる長期のプロジェクトは、私たちの人生そのものです。たぶんこれは、ノアの人生が私たちに与える一つの大きな挑戦です。神様の恵みを受けつつ、全生涯を従順と感謝の人生を送ることができるか、という挑戦です。」

 私たちが生涯、主に信頼して、主との交わりをいただきながら生きるために、聖書を祈り深く読むことは不可欠でしょう。そして、十字架の恵みを覚えつつ、赦しと慰めと励ましをいただいて生きてゆくのです。

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