礼拝メモ 2月20日
聖書 ペテロの手紙第一 1章1節-9節
コロナウイルスの感染が収まらず、ウクライナの情勢も危険な状態です。なんとなく将来に暗い雲がかかっているようなこの頃です。こういう時、私たちに力を与え、前進させてくれるのは、望み、希望です。ペテロの手紙から、望みについて思い巡らしましょう。
ペテロが手紙を書き送ったのは、現在のトルコにあたる小アジア地域のクリスチャンたちにです。彼らは、「様々な試練」、「燃えさかる試練」(4:12)の中を通っている人たちです。ペテロは、彼らを励まし、試練に耐え、主の勝利の証人となることを期待しています。そのために必要なものは希望です。ペテロはまず、その望みについて書いています。
「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。」
この3節に、述べられているのは、神が「生ける望みを」お与えになったということです。「生ける」望みとは、成長する望みのことです。小さな望みが少しずつ育って大きくなり、しっかりしたものになってゆく、そんな望みです。ですから、私たちが小さな望みをいだくことから始まるのです。
その望みは、「新しく生まれる」恵みによってもたらされたものです。イエス様がニコデモに語られた「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」という恵みにあずかったことは、何という恩寵でしょうか。罪を赦され、神のいのちにあずかり、神の子としていただいた私たちは、さらに確かな、そして豊かな恵みの世界を望んで生きることができるのです。
その新生の恵みは、主イエス様の十字架と復活のゆえに与えられる恵みです。ああ、イエス様はどんなに苦しまれたことでしょうか。主イエス様は今も生きておられ、私たちのために心を用いてくださっているのです。それによって、信じた時に新しく生まれることができたのです。何という幸いでしょう。
そのような恵みを備えて、私たちを招いてくださったのは、父なる神様のあわれみによるのです。パウロは「大きなあわれみ」と言っています。神様に反逆し、反抗する私たちを、ご自身との交わりに回復したくて、私たちをあわれんでくださったのです。そのあわれみがなければ、私たちはとっくに死んでいたでしょう。
4節は、その希望の中身を明らかにしています。それは、資産を受け継ぐことです。地上の資産は時間とともに朽ち、罪によって汚れ、立場が変われば消えて行くこともあるのです。しかし、天にある資産は、そういうことがなく、父なる神様が守っていてくださる資産です。別のところでは、永遠の御国を受け継ぐとあります(Ⅱペテロ1:11)。パウロはそれを相続するのは「共同相続人」であると言っています(ローマ8:17)。「これはおれのものだから、手を出すな」というようなこだわりのない世界です。
そして御国を相続する日まで、「信仰により、神の力によって守られて」いるのです。ですから、ペテロは「ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています」と書き送りました。パウロは「希望の神が、…聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように」と祈っています(ローマ15:13)。苦しみの中でも、喜び、希望にあふれる生活ができるとは、何という恵みでしょうか。