礼拝メモ 12月19日
聖書 ルカの福音書2章1節-20節
この年、さまざまな困難と緊張の中を通りながら、今日まで守られて来たことを感謝します。今年の待降節は「永遠」の角度から、み言葉を開いてきました。「永遠の昔」、「永遠の救い」、「永遠の御子」。このクリスマスの朝、ルカの福音書からお話しします。
御子はベツレヘムで、マリアから生まれました。永遠の神の子が人間となられたのです。それなのに、ルカの書いた救い主の誕生は、何とつましいものでしょう。特に、7節をご覧ください。「男子の初子を産んだ。そしてその子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」
宿屋には場所がなかったとあるように、この夫婦は宿屋にとって重要人物ではなかったのです。飼葉桶は家畜の餌を入れるものです。普段はまぐさを切っていれるのです。この時は、切らずにまぐさを敷いたのでしょう。
そこに羊飼いたちがやって来ます。彼らは、高級ホテルなら守衛に追い返されるでしょうが、ここは家畜小屋。貧しい人たちが貧しい人たちを訪問してお祝いをするのです。羊飼いは、貧しい人たちの代表として、天使のお告げを受けたと言えます。エリザベス女王がアメリカに行った時の四千ポンドの荷物を考えると、救い主の誕生のつましさが分かります。
羊飼いたちの経験は大変な驚きだったでしょう。まず、主の使いが現れます。羊飼いたちも昔の話は知っていたでしょうが、自分たちにみ使いが現れるなど、一生ないと思っていたことでしょうから、どんなに驚いたことでしょう。
次に「主の栄光」が照り輝いたのです。羊飼いたちにとって、驚きを超えて怖かったのではないかと思います。なぜなら、「主の栄光」は神殿の至聖所にある輝きで、主なる神様の臨在を表すものだからです。
そうして、み使いが語りかけます。天使の声を聞いたのは初めてです。少し前に、マリアもザカリヤも、聞いたのですが、羊飼いたちはそんなことは知りません。ただただ驚きを持って聞いたことでしょう。マリアやザカリヤと違って、特別の使命があったわけではない羊飼いに語られたのは、まさに恵みでした。
その知らせは、喜びの知らせでした。救い主がお生まれになり、飼葉桶に寝かせられているというしるしまで与えられたのでした。ここに三回「飼葉桶」が語られているのは、救い主のしるしとして重要だからです。
そして、彼らは「さあ、ベツレヘムへ」と急いで行きました。そこで飼葉桶に寝ているみどりごを発見したのです。羊飼いたちの興奮はいかばかりだったことでしょうか。「わおー、救い主だ」と叫んだりはしなかったでしょうが、興奮したことでしょう。
この羊飼いたちの訪問は、マリアとヨセフにとって、とても意味の深いものでした。それぞれみ使いの語りかけをいただいてから、みどりごの誕生まで、神様は特別に語っておられません。羊飼いたちの証しは、この二人にとって、生まれたみどりごが約束の子であることを再確認できる時となったのです。
マリアは、「心に納めて思い巡らしていた」とあります。み使いのお告げのことばや、これからの養育について、思い巡らしていたのでしょう。神が人となることの、神秘は人間には測りきれません。ですが、貧しいものたちに心を注いでくださる神様を見つけることができる幸いを感謝したいと思います(Ⅱコリント8:9、9:15)。