礼拝メモ 10月3日

聖書 ルカの福音書9章28節-43a節

 新しい月を迎え、特別集会も行われますので、たとえ話から離れて、信仰について聖書を開きたいと思います。ルカの9章です。

 今朝読んでいただいた箇所は、大きく二つの場面から構成されています。前半は山の上の栄光の場面、後半は山の下の癒しの記事です。

 イエス様は、三人の弟子を連れて山の上でお祈りをしに行きました。お祈りをしていると、そのお姿が変わり、栄光に輝きました。ルカはこう書いています。「祈っておられると、その御顔の様子が変わり、その衣は白く光り輝いた」(29節)。

 この変化は、祈る内に起こりました。主イエスの祈りが、父なる神との幸いな交わりであることを表しています。そして、光り輝いたのは、外からのものではなく、内側からの輝きで、その罪のない品性が表れていました。その後、雲の中から声がありました。「これはわたしの選んだ子。彼の言うことを聞け」(35節)。

 イエス様の一行は山から下りていきました。すると、汚れた霊に悩まされている一人息子をもつ父親が迎えます。彼は弟子たちに息子を癒やしてほしいと願ったのですが、できませんでした。そこにイエス様が降りて来られたので、イエス様にお願いしました。すると、イエス様はこう言われました。「ああ、不信仰な曲がった時代だ。いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの子をここに連れて来なさい」(41節)。ここにいあわせた人たちが、この息子を癒やすことができなかったことに、悲しんでの言葉です。イエス様にとって、不信仰は見たくないものなのです。信仰をもってイエス様に近づいた人たちは、イエス様にほめられていますし、「あなたの信仰があなたを救った」と喜びの声をかけています。

 イエス様は、汚れた霊を叱り、その子を癒やします。

 この二つの出来事から教えられることは、何でしょうか。まず、子の父親の姿の中に、無力な自分に悩む人の姿が現れています。私たちも、家族のことなどで、自分の力ではどうしようもないことに遭遇することがあります。弟子たちは癒やせませんでした。そこにイエス様が降りて来られました。父親は改めてイエス様にお願いします。イエス様は、「あなたの子をここに連れて来なさい」と言われます。『ここ』とは、イエス様のもとです。

 天からの声は、「彼の言うことを聞け」でした。イエス様に全権を委ねている父なる神様の言葉です。そしてそのイエス様が、「ここに連れて来なさい」と言われます。何と幸いな言葉でしょうか。

 牧師にお祈りしてくださいとお願いすることがあります。牧師は建物の足場のような働きをします。一人ひとりが直(じか)にイエス様にお祈りできるようになることを助ける務めをしているのです。一人ひとりがイエス様のもとに問題を持って行く信仰を育てることが大事です。

 イエス様は、あの山の上で栄光に輝いた方です。そのまま天に帰ることのできる、罪のない方です。そして、父なる神様から全権を委ねられている方です。私たちの身代わりに十字架の上で死なれ、三日目によみがえられた方です。生ける主です。この方に信頼して祈るのです。「ここに連れて来なさい」と言われるイエス様の足もとに問題を持って行けることは、何と幸いなことでしょうか。