礼拝メモ 7月25日

聖書 ルカの福音書15章1節-10節

 主イエスのたとえ話の中でも、その知名度ではトップクラスのたとえ話がこの章にあります。前半は、いなくなった羊となくした銀貨のたとえ話が並んでいます。

 このたとえ話をするようになった背景は、1節と2節にあります。イエス様の周りに集まって来た人たちを見て、パリサイ人たちが文句を言ったのです。

 そこでイエス様が語られたのが、この二つのたとえ話でした。

 百匹の羊を持っていて、一匹がいなくなったとき、羊飼いは探しに行きます。羊飼いにとっては、どの羊も大切な一匹なのです。あちこちと捜しまわり、ようやく見つけたら、大喜びで羊を肩に担いで帰り、友だちや近所の人たちと一緒に喜びます。この時言われた、「一緒に喜んでください」の言葉こそ、このたとえの《核心》です。

 友だちや近所の人たちとは、イエス様の周りに集まった「取税人たちや罪人たち」と言われている人たちです。彼らはイエス様の言葉と愛によって「一緒に喜ぶ」ことができる人たちです。

 しかし、イエス様が「一緒に喜んでください」と言ったとき、ぜひとも加わってほしい人たちとは、「パリサイ人たち、律法学者たち」です。取税人たちは悔い改めて救われているのですから。

 そこで、イエス様が言われたのは、「一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです」でした。「天にある」とは、神の喜びであると言うことです。神が大いに喜んでくださるのに一緒に喜べないひねくれた心の持ち主に、自覚を促す言葉です。

 パリサイ人たちや律法学者たちは、自分は悔い改める必要はないと思っていたのでしょう。しかし、神の喜びに一緒にあずかれない彼らこそ、悔い改める必要がある人たちでした。

 イエス様は、もう一つたとえ話をしました。銀貨を十枚持っている女の人が、その一枚をなくしたら、探しに探して見つけるでしょう。見つかったら、「女友だちや近所の女たち」に「一緒に喜んでください」と言います。話を聞いている人たちの中には女の人たちもいるので、イエス様は女性版のなくしたもののたとえ話をしました。主旨は同じです。最後の言葉は、「一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです」となっていますが、神様の喜びが御使いたちに喜びを生んだのです。

 イエス様は、取税人や罪人と言われる世の中のつまはじきされた人たちも、悔い改めて天の御国に来てほしいだけでなく、そういう人たちをさげすんで御国に入れまいとするパリサイ人や律法学者たちにも、御国に来てほしいのです。ですから、彼らの心の問題を自覚させようとして、このようなたとえ話をしたのです。

 パリサイ人たちは、自分は悔い改める必要などないと思っているのですが、心の中には取税人たちをさげすみ、自分たちだけ御国に行こうとしています。ここには、うわべの罪人と、心の罪人が登場しています。そして、イエス様はどちらの人も悔い改めて御国に来てほしいと願っています。

 さげすむ心、自分は正しい人間だと言いはる心こそ、罪人のしるしです。そこから救われて、赦された者同士の一緒の喜びを味わってほしいのです。あなたも一緒に喜べる人になりませんか。

カテゴリー: 礼拝メッセージ