礼拝メモ 7月18日

聖書 ルカの福音書8章4節-16節

 先月から信仰についていろいろな角度から考えてきました。信仰の対象であるイエス様についてお話ししてみたいと考えています。イエス様の教えとみわざは、福音書にいろいろ書かれています。その中から、しばらく教えについて取り上げましょう。どちらかというと、弟子たちを相手に話した教えと、弟子になっていない人たち、時には反対する人たちに話した教えとに分かれるように思います。後者はたとえ話が多いようです。それで、たとえ話からお話ししてみたいと思っています(信者にとってもいろいろと教えられるものです)。

 まず取り上げるのは、種を蒔く人の話です。このたとえ話は、三つの福音書に記されていますが、今回はルカの福音書を取り上げます。

 種蒔きと言っても、日本と違い、おおざっぱにばらまく蒔き方です。ですから、蒔かれた種の中には道端に落ちたり、石の上にころがったり、茨の中に落ちるのもあるのです。イエス様はそんな情景を思い描ける土地に生活していました。ですから、道端、石の上、茨の中に、そして良く耕した良い土地のたとえ話をすることができました。聞く人たちも、よく知っている情景でした。

 道端に落ちた種は、空の鳥が食べてしまいます。岩の上に落ちた種は、芽は出しても水分がないために枯れてしまいます。茨の中に落ちた種は、茨に追い越されて実りません。良い地に落ちた種だけが、百倍の実を結ぶのです。

 イエス様のたとえ話は、種蒔きの情景でした。弟子たちは、これが何を教えるものか、分かりませんでした。そこで、イエス様の説明が始まります。

 「種は神のことばです」という解説の土台が説明されました。神のことばとは、神からのメッセージであり、福音です。

 道端に落ちた種に表されていたのは、悪魔がみことばを取り去ってしまう人でした。空の鳥とは、悪魔を指していました。自分を過大評価して、福音を取り入れる余地のない心の持ち主です。

 福音は、頭で理解するだけでなく、心で聞く必要があります。

 岩の上に落ちた種は、根がないために枯れました。根は、本体を支えるとともに、栄養と水分を吸収する役目があります。根がない人とは、恵みを吸収できない人、行き当たりばったりの人、都合が悪くなると信じることをやめてしまう人です。

 イエス様は試練に会いました。聖書の言葉で悪魔を追い払いました。

 茨の中に落ちた種は、思い煩い、富や快楽の誘惑に負けてしまい、信仰が育たず、実を結ばない人です。

 良い地に蒔かれ、実を結ぶ人については、三つのことが言われています。

 ⑴「立派な良い心」で福音を聞くことです。素直に、恵みに依り頼みながら聞くことです。⑵「しっかり守る」とは、みことばをどんなことがあっても離さない人です。パウロも、「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい」と言いました(コロサイ3:16)。⑶「忍耐して実を結ぶ」とは、種から芽を出し、葉を茂らせ、花を咲かせ、実をつける、実が熟すまでの時間がかかることに、忍耐が必要だというのです。イエス様に信頼して待つことができる人が実を結ぶのです。

百倍の実とは、福音の恵みによって、イエス様とともに生きる喜びに満ちた生活のことです。み言葉に信頼して、主にお従いしましょう。

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