礼拝メモ 6月20日
聖書 ヨハネの福音書4章7節-26節
先々週は主のことばに信頼することを学び、先週はイエス様を信じる信仰の中身を思い巡らしました。
ヨハネの福音書4章には、イエス様がサマリア地方と通ったときのことが書かれています。サマリア地方は、ユダヤ人の嫌う人々が住んでいました。彼らは、生粋のユダヤ人ではなく、外国人が送り込まれた結果、独特のユダヤ教になっていました。そのため、「ユダヤ人はサマリア人とつきあいをしなかった」のです(9節)。しかし、主イエスは、この道をとったのでした。
時刻は昼の12時近くです。弟子たちは昼食を集めに行っていました。ひとりヤコブの井戸端に座っていたイエス様の姿が思い浮かびます。そこにやって来たサマリア人の女性は、水を汲みに来たのです。他の人なら、少し日が傾いた時間に水汲みをします。でも、この人は、暑い盛りに水汲みに来たのです。
イエス様は、「水を飲ませてください」と頼みました。しかし、女性の答えは冷たいことばでした。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリアの女の私に、飲み水を」求めるのかと、言うのです。そこでイエス様が取った態度は、驚きです。その人に、「もし自分がだれかを知っていたら、あなたのほうからもとめていたでしょう」、と言ったのです。そうすれば、「生ける水」が与えられると約束しました。
女の人の態度も変わりました。その「生ける水」がほしくなったのです。すると、イエス様は、「あなたの夫を呼んできなさい」と、意外なことを言います。女の人は、「私には夫がいません」とぶっきらぼうに答えます。それに対して、イエス様は静かに語ります。「あなたの言ったことは本当です。あなたには夫が五人いましたが、今一緒にいるのは夫ではないのですから」と。この女性は、初対面のイエス様がいきなり、過去の結婚歴をそのまま語ったのでびっくりし、この方は預言者だと思います。そして、礼拝の場所などの問答の末、「キリストと呼ばれるメシアが来られる」時に期待していることを語ります。すると、イエス様は「あなたと話しているこのわたしがそれです」と、メシアであることを告げます。女性の心に温かなものが流れ、水がめを置いて町に行き、自分の過去を言い当てた救い主が来られたと、町の人を招きます。
話しはさらに続きますが、ここで気がつくのは、先々週や先週に話した人たちは、真剣にイエス様を求めていきましたが、この女性はそんな気持ちを少しも持っていなかったのに、救い主の自己紹介に出会うという点です。
なぜイエス様は人々と違う道を通って行かれたのでしょうか。このサマリアの女性に会うことを知っていたのでしょうか。また、この女性の人生に何が起こったかを知っていて、わざわざこの道を通ろうとしたのでしょうか。詳しいことは分かりませんが、この出来事を通して、イエス様のあわれみの心、悩み苦しみを持つ人への深い同情が見えてきます。
ルカの福音書7章に、ナインのやもめのひとり息子が死んで、埋葬に向かう悲しい行列に出会ったイエス様の姿が描かれています。そこには、こう記されています。「主はその母親を見て深くあわれみ、『泣かなくてもよい』と言われた」と。頼まれたのでもなく、ただイエス様のあわれみの心が願ったことを、この時なさいました。サマリアの女性にも、同じようにあわれみの心で救いへと導かれたのです。主よ、感謝します。