礼拝メモ 5月30日

聖書 エペソ人への手紙5章15節-20節

 ペンテコステを越えて、ふと心に浮かんだのは、「主のみこころが何であるかを悟りなさい」というお言葉でした。その答えは、すぐ後にある「聖霊に満たされなさい」にあると思いました。

 ここには、ぶどう酒と聖霊が対比されています。ペンテコステの日も、聖霊に満たされた弟子たちに、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と悪態をつく人がありました。ぶどう酒も聖霊も、人の中に大きな影響を与えるのです。

 ぶどう酒はユダヤでは水代わりに飲みました。ですから、酔っ払うなと、何度も警告されていました。聖霊は、イエス様の招きの中でも言及されていました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水が流れ出るようになります」(ヨハネ7:37−38)。

 聖霊に満たされなさいという言葉は、命令形です。だれもが経験するべき恵みの世界です。また、それは、受け身形です。イエス様が満たしてくださるのです。そして、この言葉は、現在形です。つまり、継続的に満たされていなさいという意味です。

 それでは、どのようにして聖霊に満たされるのですか。全くすべてを主にお献げし、み言葉に立って信頼することです。

 聖霊に満たされると、何が起こるでしょうか。心の純潔です。あなたの心を占めているものは何ですか。聖霊は、あなたの心に愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、自制の実を結ばせてくださいます。「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれている」とパウロは言います(ローマ5:1)。イエス様は「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです」と言われました(マタイ5:8)。それは、「あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ」と言われたお言葉を(箴言3:6)、経験する幸いではないでしょうか。「味わい/見つめよ。主がいつくしみ深い方であることを。幸いなことよ/主に身を避ける人は」(詩篇34:8)。

 聖霊に満たされることによって、主のみこころを行う力が与えられるのです。「わたしに向かって『主よ。主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです」とイエス様は言われました(マタイ7:21)。また、「だれでも天におられるわたしの父のみこころを行うなら、その人こそわたしの兄弟、姉妹、母なのです」とも言われました(マタイ12:50)。

 ある青年が10年間、教会でよきご奉仕をしていました。けれども、彼は聖霊の満たしの経験がなく、飢え渇いていました。ある日の集会後、彼が祈っていました。「主よ、私にお約束を下さい」と。今まで学び、語ってきた聖書のことばが思い出せませんでした。そのとき伝道者が語りかけました。「イエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります」と(ヘブル7:25)。その瞬間、彼は「私が求めていたのはそれです。信じます。おお、私は全く救われた」と歓声を上げたのでした。

 また、10年の間、すべてを献げ、壇の上に置いて生きて来た大学教授が、恵みを経験できずに苦しんでいたとき、「そのささげ物を聖なるものにする祭壇」のお言葉(マタイ23:19)を信じたとき、聖霊に満たされたのでした。みことばを握って、信仰に立つとき、イエス様は聖霊に満たしてくださいます。ハレルヤ。

カテゴリー: 礼拝メッセージ