礼拝メモ 5月23日
聖書 使徒の働き6章1節-15節
今日は今年のペンテコステの祝日です。ペンテコステの日に何があったかは、使徒の働き2章に詳しく記されています。祈る弟子たちに、天から聖霊が注がれて、弟子たちが新しくされ、力強く救い主の証しをし始めた出来事でした。その出来事の中心は、聖霊が注がれたことです。聖霊は、弟子たちにみこころを行わせる力となりました。
6章は、エルサレム教会の出来事が記されています。この教会には、もともとユダヤに住んでいた人たちと外国から帰ってきてエルサレムに住んでいる人がいました。その中で、やもめの人たちには食料の配給がなされていたのです。人数が多くなってきたとき、外国から帰ってきたやもめの人たちに配給が届かない事が起こり、苦情が使徒たちに伝えられたのです。
使徒たちは皆を集めて、自分たちはみことばの奉仕と祈りに専念しなければならないから、皆さんの中から七人の人を選んでください、と提案します。その人たちの資格は、聖霊に満ちた人、知恵に満ちた人、よい証しを立てている人です。
七人が選ばれてきました。使徒たちは祈って、手を置き、この奉仕を委任しました。この七人の名前が記されています。この中にはこれ以後に名前が挙がらない人もあります。今日は、最初に記されているステパノに注目しましょう。
彼は、聖霊と知恵に満ちた人の筆頭にあげられているだけでなく、その後で、信仰と聖霊に満ちた人、恵みと力に満ちた人と紹介されています。このことは、彼が理想的な人であったように見えます。こんな人になりたいですね。
10節には、「彼が語るときの知恵と御霊」のことが記されています。内的に満ちた人であっただけでなく、語ることのできる人でした。7章を見ますと、「使徒の働き」の中で一番長い説教が記されています。そして、その聖書理解はすばらしいものがあります。聖書をよく知っているだけでなく、その意味を捕らえる勘所が分かっているひとでした。聖書読みの聖書知らずにならず、彼は分かっていた人でした。これも、聖霊の助けを真実に受け止めてきた結果でしょう。
15節には、こう書かれています。「人々がみなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のようであった」と。ブラウンという人は、次のように解説しています。この御使いの顔のようなとは、「よく天使の絵に見られるような、おだやかな、やさしい顔つきではなく、また復讐にもえる天使の恐ろしい顔つきでもなく、内なる霊感を語る顔つきであり、内なる光で燃えているすみきった眼差しであった。」
使徒パウロの容貌にも同じような顔つきが記されています。「彼はパウロが近づいてくるのを見た。小柄な男で、眉毛が寄り、割に大鼻で、頭は禿げ、がにまたで、頑丈な体格で、恵みに満ちていた。彼は時には人間らしく見え、時には天使の顔つきをしていた。」(パウロ行伝)
ステパノにしてもパウロにしても、すばらしい人たちです。この天使の顔について、マーシャルはこう言います。「この表現は神に近い人物に対してなされるものであり、神の臨在に触れたことの結果として、神の栄光の一部を反映しているものです。」
聖霊に満ちた人たちの姿から、みことばに仕えることの大切さを教えられます。彼らの関心の的は聖書にあったのであり、救い主を伝えることにあったのです。私たちも、聖霊に満たされて、これらの人たちの足跡をたどることができるように、祈って進みましょう。